広島、近鉄で活躍した清川栄治さんが5日、悪性腫瘍のため亡くなった。62歳でした。

 清川さんは、京都商業高校、大阪商業大学を経て、83年D外で広島に入団し、91年途中、野林との交換トレードで近鉄に移籍、98年に広島に復帰。その年に引退し、

引退後、広島、オリックス、西武でコーチを歴任。

 現役時代は、ワンポイントで登板が中心で、サイドに転向し。86年は優勝にも貢献した。並み居る左の強打者と対戦してきました。移籍した近鉄でも、広島時代同様に、ワンポイントが中心。438試合連続救援で、チームを支えてきた。

 今日、RCCラジオで毎週月曜日の放送中の「VeryCARP!RCCカープナイター」でゲストの達川光男さんで、ユニホームを他の選手は、丁寧に扱わないのが多い中、清川さんは、畳んでクリーニングにだすくらい几帳面で、どの選手に対しても優しい、どの選手からも慕われた。

 公私で一番可愛がったのが、達川さんが言うには、31年前に亡くなった津田恒美さん、86年の巨人戦だったかな、プロ初勝利がかかる試合で、津田さんが登板したのですが、滅多打ちあってしまい、プロ初勝利どころか、逆転負けを喫してしまい、

 試合が終わって、津田さんが1時間おきに何度も、清川さんの部屋に何度も謝り、最後には「寝れんわ」と言って、二人で屋上の夜空見たと、1994年5月のNHKで放送された「NHKスペシャル もう一度投げたかった」のなかで清川さんも語ってました。

 ノムさんが、阪神監督時代に、遠山-葛西-遠山-葛西のスペシャル継投あったが、清川さんも近鉄時代に、マウンドに上がり右打者のときにファーストに回り、再びマウンドにあがった事ありました、

 そして、西武で投手コーチ務めてたときに、中崎翔太の兄.雄太のサイド転向を薦めた、交流戦で投げたとき画面から一瞬消えた。

 今シーズンは塹江がサイドに転向、球速が出るので、制球力付けば、清川さんのような役割を任されると思います。