4/27の余録のテーマは『日の丸飛行隊』にした。スキージャンプで日本初の

冬季オリンピック金メダル🥇をもたらした笠谷幸生さんは、『無念無想のスタート』を目標としていた。1972年、札幌冬季五輪の90㍍級(現ラージヒル)で、風を踏み切りのミスから7位に終わったことへの反省があった

 2月6日、70㍍級(現ノーマルヒル)の優勝シーンは、いつも鮮やかに脳裏に焼き付く。国民の期待を背負う中、『飛んだ、決まった』とNHKの実況が勝利を伝えた。『日の丸飛行隊』の快挙は熱狂を小紙は「やったぞ日の丸三本」と報じてる

 笠谷さんが80歳で亡くなった。前傾姿勢や着地のテレマークの美しさが特徴で、全盛期には「鳥人」と称された

 70㍍級の前はほとんど無言を通し、勝利後の記者団「あなたがたに何がわかりますか」と言い放った。「金メダル確実」と言われつつ、数十秒ですべてが決まってしまう重圧はいかばかりだったろう

 風に左右されるジャンプ競技を「賭け」と言いつつ、金メダルに輝いた。90㍍級の失敗をむしろ重視し、新たな境地を目指し続けた。札幌五輪後の姿にこそ、笠谷さんの本質があるのかもしれない

 金野、青地両氏はすでに世を去り、表彰台独占から半世紀以上を経た。2030年の札幌五輪招致断念を巡っては、冬季スポーツの振興が開催以上に重要だとメディアに語った。いかにも笠谷さんらしい、その功績は不朽である。

 今では、冬季と夏季でオリンピック開催が異なってますが、当時は、同年に開催された。1972年札幌五輪のイメージソング「虹と雪のバラード」

は、今でも歌われる素晴らしい曲です、「金メダル確実」と言われつつでは、最近では羽生結弦さんが、オリンピック3連覇達成したが、4年に1度なので12年経つ、笠谷さんのように重圧あったと思います、その中での達成です

 日本では、冬季五輪は長野と札幌の2回開催されました、札幌のときは生まれてないですが、日本人3人が金🥇銀🥈銅🥉を独占は、快挙、それ以降は出てないが近い将来出てほしいです。

 2030年の札幌五輪招致断念は、致し方ない。国民は期待したと思う、けど、資金、協力してくれるスポンサーなど、いろいろと厳しい物があると思う、条件が整えば、開催してほしいものです、カーリング🥌も活躍すると思う、

 

 

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