□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(48)

(「水中花・四十雀」より)

御降りの赤松増えしかと思ふ

季語は、「御降り(おさがり)」で、新年《上》。

「御降り」は、元日、あるいは三が日に降る雨や雪のこと。

句の並びから言ってここは、元日の雨か雪。雨といふことにします。

元日は冷たい雨。広葉樹はすべて葉が落ちて枯木となっています。すると、枯木の中の常緑樹の赤松の緑色が目立って、まるで赤松が増えてしまったかのように見えるという句意。真冬にあってなお若々しく見える常緑樹の松を羨む気持ちを表した句のひとつ。

満目の松に病む身ぞ横光忌  石田波郷

御降りの病院の道林貫く

季語は、「御降り(おさがり)」で、新年《上》。

「貫く」は「ぬく」と詠むのでしょう。

元日の雨が降っています。窓の外に病院から林へ通じている道があり、その道は林を貫いています。林の広葉樹は枯木となっていて、蕭条たる冬木立となっているのですが、冷たい雨がその景色をますますもの寂しいものに見せているのです。林を貫いている道も雨に濡れて、鈍い光を放っていて、波郷は心の中でその寒々とした道を歩いています。「御降り」という季語は、涙を連想させる雨の忌み言葉。波郷もまた窓の外の景色を眺めつつ、涙を堪えているのです。

御降りやややはなやぎて見舞妻

季語は、「御降り(おさがり)」で、新年《上》。

雨の元日。元日らしいやや華やいだ服装をして見舞いに来た妻あき子さん。大晦日の日にも見舞いに来ていますが、夫して妻あき子さんの体調を案じつつも、やはり見舞いに来てもらうと嬉しいのです。その妻の献身的な姿勢をちょっと他の人にも知って欲しいような、そんな気持ちを波郷は持ったのかもしれません。

マロングラツセ一つ残りぬお元日

季語は、「元日(ぐわんじつ)」で、新年《上》。

妻あき子さんが、波郷にマロングラッセの差し入れをしたのでしょう。マロングラッセと言えば、今でもちょっと高級感のあるお菓子ですが、この当時はもっと価値のある珍しい菓子であったと思われます。そのマロングラッセをあき子さんといっしょに味わいながら、穏やかな元日のひとときを楽しんだ波郷。しかし、あき子さんが帰ってしまうと、また寂しい、退屈な病院の日常に戻ってしまったのです。あき子さんの去った後の病室には、マロングラッセ一個がぽつんと残っているだけという景です。


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かなぶんや敗者は死んだふりをせよ  森器

君は云ふそはいと深き詩なるとwhy?と訊きつつ夏の蝶舞ふ


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東京都知事選後の雰囲気に異様なものを感じます。

選挙が終わったのにもかかわらず、落選者がバッシングを受けています。

このような状況は好ましいとは思われません。落選者がかわいそうだという同情論が出ても不思議はありません。

とりわけ、三位で落選した蓮舫氏へのバッシングは、蓮舫氏が女性であるがゆえに、微妙かつ深刻な問題を孕んでいます。

蓮舫氏も、自らに対するバッシングを、女性蔑視の問題として語っています。しかし、そのことが、火に油を注いだような結果になっているのも気になります。

私は、結婚したことがないので、女性をめぐるいろいろな問題については、語る資格はないと思ってきました。問題が大変微妙なので、私の杜撰な言葉では、十分にその意を伝えることも難しいとも感じてきました。

しかし、今回の東京都知事選挙後の社会の雰囲気を感じて、そういう私の消極的態度は改めなければならなければと思っています。女性をめぐる問題について、しっかりとした知識と明確な見解を持っておかなければ、今後の適切な政治参加は難しくなると遅ればせながら痛感しました。

女性をめぐる問題を感覚として捉えるのではなく、言葉にして理解する必要があります。今後、関連本を書店や図書館で見つけたときには必ず手に取って見ようと思います。

日本に男女格差があるのは確かですが、よく見ると、東京都知事も組合のトップも女性であり、しかも政権寄りです。こうしたことも踏まえて、人間同士の率直な(忖度のない)意見交換ができる場とはどういうものであるかを改めて考える必要があるでしょう。

 

拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。