□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(39)
今日から「水中花」の章の「四十雀」を読んでいきます。
まずは、波郷の一言。
昭和四十一年十一月九日入院、翌年九月二十八日退院。
長い入院です。肉体的にはもちろんですが、精神的にも相当つらかったと思われます。
(「水中花・四十雀」より)
石蕗散れり入院の帯纏き立てば
季語は、「石蕗の花(つはのはな)」で、初冬。
いよいよまた入院することとなって、入院するために用意された着物を来て帯を纏(ま)き、立ち上がってみたところ、石蕗の花が散るのが見えた、という句意。
まだ、退院してから一か月も経たないうちにまたも入院することになってしまった波郷。この少ないわが家での生活の中で、ここ最近、波郷の目を楽しませてくれていた石蕗の花。それが、波郷の入院を知っていたかのように散っている。そこに一抹の寂しさを感じつつ、また入院生活の苦しみのなかに入っていかなければならないことにも諦めに似た感情が湧いてくるといったところでしょう。
入院車待てばはや来て四十雀
季語は、「四十雀(しじふから)」で、三夏。
四十雀は、一般に夏の季語ですが、もちろん季節は11月初冬。
季語の約束よりも、その実感を重視するように思われる波郷の姿勢が表れた季語の使い方です。
「入院車」とは、おそらく病院側が用意した自動車のことでしょう。その車が、まるで波郷の入院を急かすかのように早々とやってきて、まさにのその車に乗り込もうとするとき四十雀の甲高くも愛らしい声が聴こえてきたのです。まるで、波郷の入院を寂しむかのように鳴く四十雀に波郷の心も息つまるような思いがしたに違いありません。
落葉敷いてわが病棟の巨き影
季語は、「落葉(おちば)」で、三冬。
入院車に乗って病院に来た波郷。病院につくと、まず目についたのが、病院の庭のあちこちに積もっている落葉。その落葉が敷かれたところに、波郷がこれから入院しようとする病棟の巨大な影が伸びている、という景。
巨大な病棟にやせ細り小さくなった自分がまた入院するという悲しみが伝わってきます。
一の酉ベッドの裾を黄葉染め
季語は、「酉の市(とりのいち)」の傍題で、「一の酉(いちのとり)」で、初冬。
「黄葉(もみじ)」(「黄葉(くわうえふ)」の傍題)も季語で、晩秋。
酉の市は鷲(おおとり)(大鳥)神社の祭礼。台東区千束にある鷲神社が特に有名。11月の酉の日に行われます。
一の酉が行われる十一月の最初の酉の日。入院したベッドの裾のところに、窓から入って来た黄葉の葉が何枚かついて、まるで黄色い葉の模様で染められたかのようである、という句意でしょう。
毎年のように行っていた酉の市に今年も行かれないのだなあ、という呟きが聞こえてきそうです。そして、早くも冬が深まり始めていることを、ベッドの上の黄葉の落葉が、教えてくれている、といったところでしょうか。冬の入院生活の寂しさ、厳しさのようなものが伝わってきます。
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細腕を這い上りたる黒き蟻 森器
餌皿へ長く伸びゆく蟻の群
蕊につく蟻の蕊ごと揺られたる
太陽をものともせずに石の蟻
われを嚙む蟻をつまりは許したり
一杯のアイスコーヒーわが夏の沈黙のみを許してくらし
甘すぎるシナモンロール見つめをりかなしいなどと何をいまさら
夜明け来てわが決別の梅雨空に一羽の鳩のけふも鳴くなり
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昨日のブログで、私に田圃に関する句を鑑賞する力が足りないということを言いました。
とはいえ、私は都会育ちではなく、小学生の頃から田園地帯が広がっていた新興住宅地に住んでいますので、田圃の景色の移り変わりをまったく知らない訳ではありません。
「広がっていた」と過去形で書きましたとおり、現在は都市化が進んで、田圃は限られた場所にしかなく、しかもとても狭い。たいていは、男の人一人で、田植や稲刈等の農作業をしているのを見るばかりです。
そんな農作業を見ていると、寂しい仕事のような気がしますが、実はそこにやりがいがあるから続けていらっしゃるのでしょう。
田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉
また、この句を引きあいに出しますが、この句で田を植えたのは現実にいた早乙女たちであると私は考えています。きっと田植歌を唄いながら田植をしている早乙女の仕事ぶりに感心しながら、芭蕉自身も自分が田圃一枚植えた気分になっているという姿を想像します。
風流のはじめや奥の田植うた 芭蕉
そんな風流な田植歌の声は今はもちろんなく、現在の田植ではひたすら田植え機の音が聞こえるばかりです。
植田の光景も昔と現代とでは違っているようです。私の歳時記の説明を引用します。
苗は二、三日で根づいてしっかりしてくるが、それまでは先が水面にやっと出る程度に十分に水を入れて根付けを促す。最近は生育の初期に除草剤を散布することが多いので、いっそう田水がたっぷりと張られ、山や木々などの四方の風景を映す。
つまり、田植えの終った後には、水がたっぷり入っているのです。そんなとき植田に入って泥遊びの感覚を得られるのかどうか、これは実際の農家の人でないと分かりません。「もしかすると、除草剤を散布するときは案外水の量がすくないのかも」などと思うと、一層興味が湧いてきます。
しかし、どうであれ、植田の景色を見るのは気持ち良いものです。狭くても良いからいつまでも私の町に田圃が残ってくれることを願うばかりです。
拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。