□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(38)

(「水中花・白桃」より)

看護婦の声こそひびけ栗拾ひ

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。

療養所の庭に栗の木があって、そこで医師、看護婦を含めた医療従事者総出で栗の実の収穫をしている景ですね。栗拾いには、比較的体力のある患者さんもいたかもしれません。

ポイントは、「看護婦の声こそひびけ」の「こそ」でしょうか。他の誰でもない、看護婦さんたちの声が響いて欲しいと言っているわけです。

きっと、波郷の心の中に栗拾いに対する原風景というのがあるのではないでしょうか? 故郷松山で少年時代に見た栗拾いが、主に女性の仕事だったのではないか、と私は思うのですが、どうでしょうか?

療養所の栗拾いで、看護婦さんの声が響けば響くほど、故郷松山での栗拾いの光景が思い出される。つまり、この句の背後には波郷の強い望郷の思いが隠れているというのが私の理解です。

筆柿を看護婦も買ふわが後に

季語は、「柿(かき)」で、晩秋。

筆柿というのは、柿の品種。形状が筆の穂先に似ているため、筆柿といいます。筆柿は不完全甘柿で、一本の樹の中に甘柿と渋柿が混在し、種子が十分に入ると甘くなります。

療養所に筆柿を売りに来た者がいて、果物好きの波郷が早速筆柿を買おうとしていると、背後で人の気配がする。振り返ると、そこにいた女性は看護婦だったということですね。後で筆柿を食べるということよりも、看護婦さんと一緒に筆柿を買っているという行為そのものが楽しくなっている様子が伝わってきます。

時雨忌や林に入れば旅ごころ

季語は、「芭蕉忌(ばせうき)」の傍題、「時雨忌(しぐれき)」で、初冬。

時雨忌、すなわち芭蕉忌は、陰暦10月12日。10月は時雨月とも言います。

 

ただ、波郷の退院日(10月16日)から判断すると、陽暦10月12日を時雨忌として詠んだ句と判断できます。

療養所の林に入れば、まるで旅をしたかのような心地がするという句意。折しも、芭蕉忌。旅に生きた芭蕉と同じように、波郷も健康なときは旅を好みました。林に入ると、若い頃の旅の記憶が蘇るといったところでしょう。

病廊に道しるべあり四十雀

季語は、「四十雀(しじふから)」で、三夏。

四十雀は夏の季語ですが、季節は秋であるはずです。

病院(療養所)は広く、その廊下には道標が立てられたり、貼られたりしているわけですが、このことは波郷がある程度健康を回復して、廊下を歩き回れるということを暗に示しているのだと思います。外では、四十雀の心地よい声がしているのです。

波郷は、10月16日に退院しています。

これで、「水中花・白桃」を読み終えました。明日からは、「水中花・四十雀」を読むことになります。

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桜桃や白き器のスヌーピー  森器

さくらんぼ落とせばこんと鳴りにけり

軸青き桜桃つまみ夜の明けぬ

桜桃のまろみを舌に感じをり

鳩鳴きぬ桜桃はまだ上の空


洗濯を終へて食べだす氷菓にてふと耳にせる夏の歌声

許されよ午前十時のうたた寝を炭酸水では眠気の醒めぬ

落ち着かぬ心に三時の鐘を聞くかなしみはみな日に焼くのみか


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第110回blog句会「悠々自適」で、句型課題(「今を点で詠む」「どこで切るかを考える」)の巻頭をとった句は、次の句でした。

抜く足の凹み澄みたる植田かな  おみそ

掲句、句型課題を完全にクリアしており、景もはっきりしているうえに、面白い。そういうこともあって、8点の高得点をとって巻頭をとり、特選とされたのです。

実は私はこの句を選びませんでした。私の選句する力のなさを痛感するばかりです。

しかし、私はこの句のみならず田圃に関するすべての句について自分に鑑賞する力が足りないことをもっと痛感しています。農業に従事したことはないし、農家との関係も切れてしまっているからです。

できれば、この句についての誰かの詳しい鑑賞を読みたい気がします。

きっと面白いに違いありません。

 

ただ、選評がなくてもいいのが、この句会の良いところでもありますが。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。