□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(37)

(「水中花・白桃」より)

糸瓜描く安静あけの一患者

季語は、「糸瓜(へちま)」で、三秋。

「一患者」が、波郷自身を指すのか、それとも別の患者か、明確にすることはできないのですが、ここは一応波郷自身のことだと解しておきます。

絶対安静の状況から解放された患者が、糸瓜の絵を描く。この光景から思い浮かべることができるのは、波郷と同じ松山出身のあの正岡子規の姿ではないでしょうか。

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな  正岡子規
痰一斗糸瓜の水も間に合はず
をとゝひのへちまの水も取らざりき


言わずとしれた、子規の絶筆三句ですが、胸を患った俳人なら糸瓜の絵を描いて、この句を思い出さない人はいないと思います。言い換えると、この句の作者は、死の不安をいまだ強く抱きながら糸瓜の絵を描いているのです。

宵過ぎて立待の暈ひろがりぬ

季語は、「立待月(たちまちづき)」の傍題、「立待」で、仲秋。

十五夜の次の日の月を十六夜といい、その次の日の月を立待と言います。

宵を過ぎて立待の月に暈がかかって大きくひろがっていった、という景です。
ご存じのように、月に暈がかかった日の翌日は雨になる、と言われています。
ですから、翌日の夜の居待月は、見ることはできません。

ここまでが、普通の解釈でこれで良いと思いますが、もう少し踏み込むと、この立待月の夜に病者である患者に不都合な症状が現れたととることもできようか、と思います。立待の暈は、心身ともに不安な状態に再び陥ったということを意味するのかもしれません。

  吉村先生
主治医出勤白衣の膝に通草提げ


季語は、「通草(あけび)」で、仲秋。

主治医の吉村先生が、白衣を着て出勤するに際して、通草を手に提げて持ってきたのでしょう。丁度、通草の位置が吉村先生の膝のあたりにあったので、「膝に通草提げ」という措辞で表現したのだと思います。
 

サービス精神の旺盛な吉村先生の姿の滑稽さに目をつけた句。

鵙の森息も切らさず歩きたし

季語は、「鵙(もず)」で、三秋。

鵙は波郷にとって特別な鳥。

鵙の朝肋あはれにかき抱く  石田波郷(『惜命』)

鵙遠し肢を緊縛されつゝをり 石田波郷(『惜命』)

たばしるや鵙叫喚す胸形変  石田波郷(『惜命』)


そのある意味不吉な鵙の鳴く森を息も切らさず歩いてみたいという願望が淡々と述べられています。
裏を返せば、そんなことは夢のまた夢であるという諦めの気持ちが、波郷を支配しているととることもできます。この句を読んだとき、波郷の心には『惜命』の鵙の句が去来していたに違いありません。

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  六月二十一日関東地方梅雨入
遅れたる梅雨入の日の海老ピラフ  森器

タクシーを呼ぶスマホとともに梅雨に入る

梅雨めくや野良猫われを待ちたるも

久々に白湯を注ぎて梅雨に入る

草木の色極まりて梅雨に入る


梅雨晴れの舗道横切る黒猫のごとくありたし気鬱なれども


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鳥が好きで、鳥の句が好きです。

先のblog句会「悠々自適」で、漢字席題の巻頭をとった句は、青鷺の句。

青鷺の両足揃ふ離陸かな  ハイジ

「両足揃ふ」の観察が素晴らしいうえに、言葉のリズムも良く
巻頭をとるのに相応しい句だと思います。

しかし、私が選んだ句は、

小鯵刺ただ海の青空の青  円路

でした。一見、漠然とした措辞「ただ海の青空の青」。最初私はこの句を選から外していました。

しかし、ふと考えたのです。小鯵刺を自分が詠むとしたらどう詠むかと。

小鯵刺海へ鋭く墜ちにけり  森器

まさにこんな感じで詠みがちではないのでしょうか。しかし、これはまさに駄句です。

もう一度、円路さんの句を見て下さい。「ただ海の青空の青」という措辞を通して、群青色をした世界の中でこれから急降下しようとしているアジサシの瞬間を暗示させているのです。

 

もちろん、この句は次の若山牧水の有名な短歌を踏まえています。

 

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ 若山牧水

この措辞も鴉や鷗だったら全くつまらない。けれども小鯵刺だからこそ、「ただの海の青空の青」という言葉が成立すると思うのです。私はこの句を自信をもって漢字席題の句として選びました。

また、句型課題の句に次のような句もありました。

直瀑のしぶきに浴す小瑠璃かな  ひょうたん機

この句も「小瑠璃」という鳥の句です。この句を読んで私は実に羨ましく思いました。
滝のしぶきを浴びる小瑠璃の光景を見たら、誰でも感嘆の声をあげてしまうのではないでしょうか。
景として実に鮮烈で美しい。

にもかかわらず、この句を選んだのは私一人でした。このことに私は不満です。
いったい何がいけなかったのか、私には分かりません。
もし、直瀑と小瑠璃が季重なりだという理由で選ばれなかったのだとしたら、
これは些末な理由でしかない気がします。

以上、鳥の句三句、実に見事で、自分の白鷺の句が恥ずかしくなります。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。