□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(35)

(「水中花・白桃」より)

夢の妻やや冷やかに露の虫

季語は、「虫(むし)」で、三秋。
「露(つゆ)」も季語で、三秋。
また「冷やか」も季語で、仲秋。

ある朝夢を見て目覚めた波郷。その夢の中で妻あき子さんは、妙によそよそしく冷やかに見えたのです。折しも朝露に濡れた虫の鳴く声がしていたという、そういう句意ですね。

頻繁に波郷のいる病室に見舞いにくる妻あき子さんでしたが、さすがに見舞いに来れない日もあったでしょう。そんな日は、たとえ理由が分かっていたとしても寂しいものです。きっとそんな日の夜に妻の夢を見てしまうのです。もう妻は見舞いには来ないかもしれないという不安が見せる夢。それが、この句の措辞が示す夢です。

  九月五日
古郷忌や増えきはまりし法師蟬


季語は、「古郷忌(こきやうき)」で、初秋。
法師蟬も季語で、初秋。

九月五日は、波郷の最初の師、五十崎古郷の忌日です。古郷忌には必ず句を詠んでゐ波郷。今回の
措辞は、「増えきはまりし法師蟬」。短い地上での生を鳴き尽くす法師蟬の騒めきに生の逞しさと果敢なさとの両方を感じ取っている作者がそこにいます。もし先の長くない生ならば、思う存分鳴き尽くしたい。師古郷を偲びながら、そんなことを波郷は考えていたのかもしれません。

ひとり鳴らす古郷忌の夜の含漱水

「含漱水」は「がんそうすい」と呼ぶのが正しいのでしょうが、「うがい水」のことですから、「うがひみづ」と呼ぶのかもしれません。一応、「がんそうすい」と読むことにします。

古郷忌の夜。きっともうかなり夜が更けているときでしょう。波郷ひとりがうがい水でがらがらと嗽をした。そのもの悲しい音に改めて今日が師の忌日であることを思い出してしまった。師、五十崎古郷も死の間際、こうして夜に嗽をしたのではないか、という思いがふと湧いてきた。そんな情景を思わせます。

  九月九日小野先生手製の走馬灯
病室巡業して来たりけり走馬灯


季語は、「走馬灯」で、三夏。

小野医師お手製の走馬灯が恭しく病室を回って波郷のもとにもやってきたという景。毎日が変わり映えのしない病院での生活に思わぬ走馬灯の登場で、ちょっと病室が華やいだ感じが伝わってきます。

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軽鳧の子の朝の水田に遊びけり  森器

落ち着きのある軽鳧の子を探しをり

軽鳧の子や見えざる敵に怯えたる

川風に軽鳧の子両目細めるや

軽鳧の子の親を離れぬこの世かな


大蒜のききし唐揚げ食べながら夕焼空の美しきを言ふ


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波郷の妻石田あき子さんの句をご紹介すると私がブログに書いてから相当時間が経っています。

忘れたわけではありません。この『酒中花』が読み終わったあたりで、ご紹介するのがベストかな、と思っていたのです。

しかし、もうこの辺でご紹介を始めてもいいかもしれないと思い始めました。

それで、今週から、毎週土曜日に『石田あき子全句集』(東京美術)から、石田あき子さんの句集「見舞籠」を私が句を拾って紹介していきたいと思います(「見舞籠以後」の句についてはまた考えます)。

基本的なところだけ今日は記します。

「見舞籠」は、石田あき子さんが結婚後句の創作を開始した昭和34年から波郷が亡くなった年昭和44年までのほぼ十年間の句を波郷の提案で句集としてまとめたもので、昭和44年の12月に刊行されています。

言い換えると、結婚前はおそらくは俳句を作っていたあき子さんでしたが、結婚後、43歳になるまで句をまったく作っていなかったということです(つまり新婚当時の句といったものは存在しません)。結婚後かなりの間は、夫の仕事のサポートと看病(もちろん子育ても)に明け暮れたといってよいでしょう。

しかし、そのブランクを感じさせない石田あき子さんの句集「見舞籠」は、とても魅力的な句集です。本当は全句を紹介したいところですが、そうもいかないでしょうから、初心者の私が何とか頭をひねって秀逸な句、重要と思われる句を拾ってご紹介したいと思います。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。