□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(34)
(「水中花・白桃」より)
石橋辰之助を夢みる
亡き友を夢みて仰ぐ露の鳥
季語は、「露(つゆ)」で、三秋。
石橋辰之助は、俳人。「ホトトギス」を経て水原秋櫻子の「馬酔木」に参加。その後、「馬酔木」を離れ新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に参加。1939年には西東三鬼、三谷昭らと「天香」を創刊するが、1940年の「京大俳句」弾圧事件に連座。戦後は新俳句人連盟に参加し委員長を務めた。1948年8月21日、急性結核により死去。40歳没
この石橋辰之助の死去に際し、波郷が詠んだ句が『惜命』にあります。
石橋辰之助の訃をきく
頬に蠅つけ睡れる者は縁由なし
かつて仲のよかった波郷と石橋辰之助でしたが、石橋辰之助との間に何らかの感情の行き違いがあったようです。そして、波郷は、辰之助の訃報を受けて、彼とは「縁由なし」と言い切っていたのでした。
それが、この「酒中花」では、石橋辰之助を「亡き友」と呼んでいます。あのかつてのわだかまりが消えて、石橋辰之助を再び友として思い返しているのです。
もう昔に亡くなった石橋辰之助の夢を見た後、
仰ぎ見た空には露に濡れた鳥が飛び去っていった。
病気の進行が、波郷に辰之助を許す気持ちにさせていたのでしょう。思わぬ夢に懐かしさを感じつつも、涙を禁じ得ないような感情をこの句から読み取ることができます。
日の在り処よぎりし鳩や朝ぐもり
季語は、「朝ぐもり(朝曇、あさぐもり)」で、晩夏。
真夏の朝の靄のかかったような曇りが、日中になると厳しい暑さとなることがあり、これを「旱の朝曇」と言います。
そんな朝曇の空の雲の向うにぼんやりと朝の太陽があって、その太陽を過るように鳩が飛んで行ったという景です。
句中の鳩は、雲の中にある太陽が、やがて燦々と大地を照らし、炎暑をもたらすことを知っているかのように飛んでいます。これは、波郷の体調、あるいは、その体調に対する心の揺れを暗示しているのではないでしょうか。
九月二日夕
夕顔の莟解く間も飛蚊症
季語は、「夕顔(ゆふがほ)」で、晩夏。
「飛蚊症(ひぶんしょう)」とは、ある日突然に、あるいは、いつの間にか目の前に蚊やゴミのようの物が飛んで見えたり、雲のようなものが浮いて見えたり、墨を流したように見えたりする症状のこと。高齢者にはよく見られ、特に心配することはないそうですが、煩わしいものです。
夕顔の莟が開く間もこの飛蚊症に悩まされた、という句意の句です。わざわざ、九月二日夕と期日を前書に記しているところをみると、突然に飛蚊症になったのかもしれません。
夕顔のひらく光陰徐かなり
季語は、「夕顔(ゆふがほ)」で、晩夏。
「徐かなり」は、「しづかなり」「おだやかなり」「やすらかなり」そして「ゆるやかなり」と読み方はいくつもありそうですが、ここは、光陰(時間)との関係から「ゆるやかなり」が正しいでしょう。
句意は、夕顔がひらく時間はっくりと過ぎてゆく、くらいの意味ですが、そうなると波郷はこの夕顔が莟から花ひらく間、じっと夕顔を見続けていたことになります。病み苦しんでなお俳人としての正しい姿勢を失っていないことに感嘆するばかりです。
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百合咲きし朝一番の大欠伸 森器
咲いたよと呟く吾に百合の揺る
反り返る百合の花さへ触れがたし
甘き香に猫も見上ぐる百合の花
夕風や揺らるる百合の蘂あらは
露地の茄子実りそむ日の故郷の風に吹かれて徒歩を急がず
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石田波郷という人は天才的な常識人であった。
これが、現在私が抱いている彼の人間像です。
驕りとか、打算とかは無かった人だと思っています。そうでなければあれほど人に愛されることはなかったでしょう。
しかし、同時に彼は天才肌でした。天才はときに直感的に動きます。風切時代のあの突飛と思える行動も彼の直感がそうさせたのです。そして、その結果を後からよく見てみると、案外常識的な選択だったと私には思えます。「霜柱俳句は切字響きけり」という句がそれを如実に示しています。
天才の直感を凡人の私があれこれ言うことはできません。今はただ出来る限り先入観を抱かずに淡々と彼の俳句を読みたいという気持ちがあるだけです。
拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。