□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(29)

(「水中花・白桃」より)

  鮎到来
夕風や上州簗の鮎三尾


季語は、「鮎(あゆ)」で、三夏。
「簗(やな)」も季語で、三夏。

「上州簗」を検索しますと、群馬県藤岡市の「上州簗」というお店がヒットします。果たして、波郷の「上州簗」がこのお店の名なのか、それともこの地域一帯の簗をそう呼んだのかははっきりしません。ただ、挨拶句を大切にした波郷ですから、お店の名が入っても不思議ではありません。このお店の近くに利根川水系の烏川が流れており、この水流を使って簗が仕掛けられるのでしょう。

波郷は、入院中ですから、この「上州簗」から鮎三尾が届けられ、それを焼いたものを病院で食したものと思われます。夕風を感じつつ食べる鮎の味は格別なものがあったでしょう。ともすれば、季節感を失いやすい病院生活にあってまさに夏を感じさせる鮎三尾だったはずです。

  八月八日
立秋や仰臥の額に女郎花


季語は、「立秋(りつしう)」で、初秋。
「女郎花(をみなえし)」も、季語で同じく初秋。

八月八日の立秋。仰向けに横になった額に女郎花の花があったということは分かるのですが、これが、病棟の外での景なのか、病室内の景なのか、ちょっと判断に困ります。次の句の「青栗に・・・」の句を読むと、波郷が車椅子に乗っているかのようにもとれますので、ある程度外に出ることは可能だったと一応解しておきます。

すると、景は割とはっきりしていて、立秋の日に、外に出て草叢か芝生に横になると波郷の額に女郎花の花がかかってきたのです。ああ、確かに立秋、秋がやってきたのだなあ、という感慨が伝わってきます。

青栗に風起れかし車椅子

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。私の歳時記には「青栗」という季語は載っていません。「青栗」ですから、実質初秋の季語と解しておいてもよさそうです。

「風起れかし」の「かし」は終助詞で、念押しを意味します。「~よ、~ね、~ねえ」と訳します。

本句は「青栗に風起ってくれよ」と言い切ったあと、「車椅子」という下五が添えられます。自然に読めば、車椅子に乗っているのは波郷で、残暑の初秋の日に風を待っている様子が伺えます。もしかすると、青栗に風起ってくれ、と言いながら、実は、自分の乗る車椅子を押してくれる風が欲しいと戯れの言葉を呟いているのかもしれません。

妻けふはすま女伴れ来ぬ鹿子百合

季語は、「百合の花(ゆりのはな)」の傍題、「鹿子百合(かのこゆり)」で、仲夏。

まず、躓いてしまうのは、「すま」です。ひらがなで書かれたこの語の意味が分かりません。ひょっとしたら「須磨」なのかもしれないと思いました。「須磨」は、摂津の国の歌枕。今の神戸市南西部の海岸の地。在原行平の流謫地。源氏物語の影響で不遇の実を嘆く歌に詠まれることが多いそうです。

もしこれが、「須磨」だとすると、妻あき子さんが連れて来た(見舞いにでしょう)女性は、不遇の女性だったと思われます。そうすると季語、「鹿子百合」が効いてきます。

鹿子百合は、花弁に鹿の子模様の斑点があるからそう呼ばれています。上品で可憐な薄紅色の花でありながら、どことなくはかなさも感じさせる花であると私には見えます。おそらく、お見舞いの花として病室に持ち込まれたのでしょうが、波郷にとってみれば、まさにこの女性に鹿子百合が相応しいものと思えたに違いありません。尚、鹿子百合の花言葉は、「荘厳」「慈悲深さ」です。


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短夜の雨の匂ひに忘我かな  森器

明易し無伴奏チェロ終りまで

短夜の明けゆくさきは銚子なり

短夜や未明の会話飾らずに

松籟に明易の鳩応へけり


平凡な娑婆にて笑ひ過ごせどもわれは移ろふ四葩の花ぞ


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先日、あまり体調の芳しくない身体をおして、市内のシネコンで映画を見ました。

『ボブ・マーリー:ONE LOVE』という映画でした。どうしても観たい映画でした。

期待していたほどの映画とは言えませんでしたが、それでもボブ・マーリーという人の存在感を感じられた映画でした。

なによりじっくりと字幕を見ながら、ボブ・マーリーの歌の世界を堪能できたことが何よりの収穫でした。


世界が分断されてゆく現代において、ボブ・マーリーの歌のメッセージはもう一度再評価されてよいはずです。

『クイーン』『アレサ・フランクリン』『エルビス』そして『ボブ・マーリー』と映画を観てきましたが、どれも印象に残る映画だったと言えると思います。見終わったあと、家に帰って早速、彼らの音楽を聴き、その才能に圧倒されました。私にとってこの四者は、意外とじっくり聴いていないミュージシャンでもありました。

次はどんなミュージシャンが映画化されるのでしょうか? 楽しみです。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。