□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(28)

今日から、「水中花」の「白桃」を読みます。まずは次の文をお読みください。

昭和四十一年七月三十一日入院、軽快後呼吸訓練を経て十月十六日退院。

(「水中花・白桃」より)

  七月三十一日入院、入院は五たび目なり
蟬のこゑ暑き入院ははじめてか


季語は、「蟬(せみ)」で、晩夏。
「暑し」も季語で、三夏

騒然と蝉の声のする7月31日、波郷は5度目の入院をします。今回は暑い夏の入院。句にあるとおり、夏の入院は初めてなのです。波郷の病気の性格からいって、いつもなら悪くなるのは寒い時期だったはず。それが、とうとう夏にも病状が悪化し、入院をせざるを得なくなったこと。これは、波郷にとってショックだったでしょう。

短夜を睡れしと思ふ息は鳴りぬ

季語は、「短夜(みじかよ)」で、三夏。

やや不眠傾向のある波郷。でも、短い夏の夜である昨夜は何とか熟睡することができたと自分では思っている。けれども、今朝も息をするたびにヒューヒューと音をたてる胸。この呼吸音を聴くと本当に熟睡できたのか、疑わしくもなります。

風の青栗頷くさまに拒むさまに

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。しかし、季語にはない「青栗」という語を用いているので、晩夏か初秋の頃と解すべきでしょう。

「風の青栗」という上五で、青栗が風に吹かれて揺れている様子を示しています。その様子が頷いているようにも見えるし、拒んでいるかのようにも見えるという句意だと思います。やがては、実が熟し地表に落ちてしまう栗。はたして栗はそれを肯定しているのか否定しているのか、受け入れているのか拒んでいるのか。そんなことを考えるとおのずと自分の命の果を考えてしまう波郷の揺れる気持ちが伝わってきます。

孤り飛びして帰省めく尾長鳥

季語は、「帰省(きせい)」で、晩夏。

オナガが、一羽、ちょんちょんと飛び回っています。まるで、帰省した学生のようにのびのびと自由に。そのとても気楽な雰囲気を波郷は羨ましく見ているといったところでしょうか。自分(波郷)も若い頃はあんな風だったなあ、という感慨もあったに違いありません。


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どくだみの白き十字の香に揺らぐ  森器

蕺菜の白昼さつとかき曇る

豪雨来て十薬の白濁りたり

十薬のいともたやすく咲き揃ふ

十薬や野猫来ぬ日の夕まぐれ

蕺菜や歩幅小さき吾に気づく


孤高なる影に会ひたし赭(あかつち)の地表に蟻の列長き日に


(うたことば・・・地表)

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今夏は、五月に走り梅雨と思われるような雨の日が頻発したのにもかかわらず、本格的な梅雨入りの方は遅れているようです。ここ最近の天候は快適で過ごしやすく、できれば一年中こうあって欲しいなどと考えてしまいます。四季あっての俳句ですから、たとえ心地よくても季節感がなくなってしまうのも困ってしまいますが。

気候温暖化は今も進行中なようです。しかし、どうなんでしょう。地球上で人間が増えていくのを避けられないのなら、気候温暖化を避けるなどということが本当にできるのでしょうか?

本当に温暖化対策をやりたいなら、人間が成長したいという欲望を抑えなければならない。つまり、低成長くらいではだめで、脱成長くらいの過激なことをしなければならないと私は思っています。けれども、成長したいという欲望は、人間の遺伝子に書き込まれた重要な要素ですから、所詮、脱成長などといったこともまず無理な気がします。

代替可能エネルギーには期待してしまいます。しかし、まだまだ問題が多く、研究は必要ですが、本格的に導入するには課題が多すぎる気がします。代替可能エネルギーの導入で自然環境が大きく変化してしまうようなことはあってはならないと私は思います。

人間がやれることといったら、せいぜい自然の森を維持すべく粘り強く努力することと、多量の二酸化炭素を排出する戦争をやらないことです。私はこれが人間ができる最善の温暖化対策だと信じています。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。