□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(25)

(「水中花・水仙花」より)

  一月二十九日
配膳の粕汁冷えぬ草城忌


季語は、「草城忌(さうじやうき)」で、晩冬。

一月二十九日。俳人、日野草城の忌日。昭和31年(1956年)没、54歳。草城忌は、凍鶴忌、銀忌(しろがねき)、鶴涙忌(かくれいき)とも言います。

高熱の鶴青空に漂へり  日野草城

病院で出された粕汁。もとから冷え切っていたのでしょうか? いや、ほのかな温かみくらいはあったでしょう。しかし、病気のため食欲がなかったので、波郷は粕汁を飲むことができなかったのではないでしょうか。それで、粕汁が冷めてしまった。

思えば、今日は、草城忌。日野草城氏もまた病に苦しみ、食欲が出なかったこともあっただろう、との思いが波郷にあったと推察します。この句が詠まれた昭和41年に波郷は53歳。日野草城が亡くなったのが54歳。波郷がこの年の草城忌の日をどういう思いで過ごしたかが、よく分かる句です。

寒雀心弱き日衾出ず

季語は、「寒雀(かんすずめ)」で、晩冬。
「衾(ふすま)」も季語で、三冬。

この「衾」は、寝るときに体の上に掛ける物の意味。

特に説明も要らない句だと思います。外で、寒雀が鳴いている日。寒雀を見たいという気持ちがあっても体調が悪いせいもあって心が弱り、寝具から出ることがなかったということですね。きっと寒さも厳しい日でもあったのでしょう。寒雀のふっくらした様子と寝具から出られない波郷の姿とが重なって、諧謔味も残している一句です。

病床に豆一掴み撒きしのみ

季語は、「豆撒(まめまき)」で、晩冬。

節分の豆撒きの光景。いつもの年なら、家族と一緒に「鬼は外、福は内」と唱えながらたくさん豆を撒いているのに、病院のベッドにいる作者は、呼吸困難のため声も出すこともできず、ただ気持ちだけ、病床に一掴みの豆を何も言わずに撒いたというわけです。豆撒きは邪鬼を払う意味もありますから、波郷としては何もせずにはいられなかったのでしょう。一掴みの豆に自身の回復の祈願をしたのに違いありません。

病棟に豆撒くこゑの幾重にも

季語は、「豆撒(まめまき)」で、晩冬。

病棟で、豆撒きの声がしている。患者や医師や看護婦の声も混じっている。何度も何度も、お互いの声が重なるほどに繰り返し豆撒きの声がする。病院にいる誰しもが病気の快癒を願っている。呼吸困難で、声の出せない私(波郷)は、ただただ沈黙してその追儺の声を聞いているだけだけれども、私もまた同じ思いでベッドに横になっているのである。

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迎へ梅雨急げとばかり叩く雨  森器

襟首の釦のとれて迎へ梅雨

走り梅雨バス停にある水溜

逆境の梅雨の走りとなりにけり

前梅雨の鳩鳴く夢に武器はなし

鳴き尽くす前梅雨の鳩喚かずも

迎へ梅雨望まぬものは水浸し


あるべし!とミサイルは落つ!!!!!あるがままにと鳩の糞落つ!


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先日、あるブロガーの方の俳句に!マークが多用されているのを見て、とても面白いと思いました。

ただ、残念ながらまだ俳句の世界では、!マークの使用は斬新すぎて受け入れられないかもしれません(いやあるかもしれませんが)。

でも、短歌なら、あるいは五行詩なら、これは許されるのではないかと思って作ったのが、上の短歌です。

気分の悪くなる方もいらっしゃるかもしれませんが、現代短歌の場合これはけっして斬新でもないでしょう。

ブログなので、横文字で書くしかありませんが、できれば縦文字で読んで(見て?)もらいたいです。

ちなみに「!!!!!」は何と読んだらいいのか? 私も今から考えるつもりです。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。