まず訂正から。

一昨日(5月29日)の「なり」についてのブログの中で、私が引用した石田波郷句に次のような句がありました。

白露の山河ことごとく別るなり  石田波郷 『病鴈』

この「なり」を私は、断定の「なり」だと思ったのですが、違和感もありました。断定の「なり」の接続は、体言や、活用する語の連体形なので、終止形「別る」はおかしい「別るる」のはずです。おかしいと思ったのですが、一応いれておいたのです。

しかし、結論から言うと、この「なり」は伝聞・推定の「なり」でした。これは、伝聞・推定の「なり」についての私の知識不足からくる誤りでした。

推定・伝聞の「なり」について、文法事項を説明します。

[意味]
①音の聴受(ある事柄が音・声として聞こえる意を表す)
  ~聞こえる、~の音(声)がする
②推定(周囲の物音や声、相手の話を聞いて推定する)
  ~ようだ
③伝聞(人や書物から伝え聞いたことして述べる)
  ~ということだ。~そうだ。~と聞いている


[接続]活用する語の終止形に付く。ただし、平安時代以降は、ラ変型の活用をする際にはその連体形(多くその撥音便化した形)につく

推定・伝聞の「なり」の成り立ちについて簡単に説明すると、これは、「音(ね)+あり」が変化して成立したと言われています。あくまで、聴覚的な根拠から推定の意味を表すのがこの「なり」で、視覚的な根拠から推量の意味を表す助動詞「めり」と対照的です。

問題は、次のような古語辞典の記述です。

詠嘆の「なり」
江戸時代には、推定・伝聞の「なり」を和歌・俳諧などで詠嘆(感動して述べる)を表す助動詞として用いている例が見られる。これは平安時代の和歌に用いられた推定・伝聞の「なり」を詠嘆と解釈しても意味が通るため、誤って江戸時代に広まった用法である。この場合は「~(コト)ダナア」「~デアルコトヨ」などと訳す。

とあり、用例として

月清み酒はと問へど少女(をとめ)ども笑(ゑ)みて答へもなげに見ゆなり

意味は、「月の光が美しいので酒はあるかと問うのだけれども、少女たちは笑って答えもないように見えることだなあ」。

江戸俳諧に知識が不足しているので、この「詠嘆」の「なり」の江戸俳諧での用例が分からないのです。もし見つけたら、ブログに掲載したいと思います。すでにご存じの方がいらしたらコメント欄にて教えていただければ嬉しいです。

という訳で、波郷の先の句は、推定・伝聞の「なり」、それも詠嘆の「なり」であると解するべきかと思います。

白露の山河ことごとく別るなり  石田波郷 『病鴈』

白露に満ちた
山や河は、
ことごとくみな
別々に分かれてゆくことだなあ

くらいの意味でしょうか。でも、江戸時代の間違った用法ですから、私には違和感は拭えません。

しかし、私たちが何気なく用いている断定の「なり」もどことなく詠嘆の気持ちをこめていると考えられなくもありません。繰り返し言いますが、「をり」「なり」「たり」には本来的には詠嘆の意味などありません。だから、「や~をり」「や~なり」「や~たり」という形も許されていいはずですが、実際は避けられてしまう傾向にあるようです。それは、そこに二重の詠嘆を感じるからでしょうか。ここは私にも結論がでないところです。

現代俳句は詠嘆をしない傾向にあるようです。これは俳句の映像化、16ビート化が関係していると私は考えています。

しかし、時には過剰な映像美より一輪挿しの薔薇の絵画を見たいと思うときもありますし、16ビートのダンスミュージックではなく、4ビートのジャズを聴きたいときもあります。このあたりは趣味の問題でしょうか。

面倒くさいことをくどくどと書きました。いくぶん消化不良のところもありますが、これで、「をり」「なり」「たり」そして「けり」についての記事を終りにします。

6月1日、2日、3日とブログをお休みさせていただき、来週の火曜日から通常通り、石田波郷の『酒中花』の続きを読んでいきます。

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紫陽花の風に吹かるる猫屋敷  森器

赤錆の傘突き出せり濃紫陽花

七変化父に会はずに帰る途

薄日さす庭に四葩の花まろし

刺繍花熱きゴスペル胸を突く

紫陽花の雨強まりぬハーブティー


紫陽花の色濃くなりしを寂しめり脳(なづき)はつねに空(そら)でありたし


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わが家の荒庭にいくつもの紫陽花が咲いています。

しかし、パーキンソン症候群による手の震えで、写真を撮ることができません。

治ると思います。

どうかご容赦ください。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。