今日は、「たり」ですが、ご存じのように「たり」には、完了の助動詞の「たり」と断定の助動詞の「たり」の二つがあります。

断定の「たり」は、「とあり」が短くなったもので、ある資格・立場などを表すことばに付いて「~だ」と断定するのに用います。「なり」との違いについては昨日の私のブログをご覧ください。体言に接続します。

重要なのは、完了の助動詞たり」ですね。

「たり」

①存続
ア. 動作や動きが進行中である。
イ. 動作や働きの結果の状態が引き続き残っている。
②完了(ある動作や働きが完全に実現・終了している)
③並立


[接続]動詞の連用形、」および動詞型活用をする助動詞の連用形に付く。ただし、ラ行変格活用動詞と助動詞「つ」にはつかない。

完了の助動詞「たり」はもともと接続助詞「て」にラ変動詞「あり」の付いた「てあり」が熟合した語である。助動詞「つ」「ぬ」が完了を中心の意味とするのに対して、同じ完了の助動詞「たり」が、完了よりも存続・継続の方を中心の意味とするのは「あり」という動詞がとりこまれて成り立っているためである。

前にも言いましたが、この「たり」は、英語の現在完了形ですね、経験という意味は表現できるのかは?ですが、完了、継続、結果は表します。しかし、基本は存続(継続)なのです。

重要なことは、「けり」のように詠嘆の意味はありません。だから、本当は強い意味はないのです。

しかし、「断定」の「たり」の印象からか、あるいは「タ行」の響きのためか、「けり」に次ぐ強い切字とされているようです。

石田波郷の句集の中では、処女作の『鶴の眼』に多くこの「たり」が用いられています。その中で、次のような句に出くわしました。

秬焚や青き螽を火に見たり  石田波郷 『鶴の眼』
(きびたきやあおきいなごをひにみたり)

「や」という切字から「たり」で文を結んだ句です。しかし、それ以後、この形を見つけられませんでした。『風切』であれほど「や~けり」を使ったのに、「や~たり」はこの一句です。

この辺が、「たり」の難しいところです。詠嘆の意味はないのに、詠嘆と同様の響きあるいはそれ以上の響きを持っているかのようです。

波郷句から「たり」句を拾います。

軍事郵便春昼懈きとき来たり  石田波郷 『鶴の眼』

窓は灼け額ぞ堆き室を見たり  石田波郷 『鶴の眼』

冷房の鏡中にわがすわりたり  石田波郷 『鶴の眼』

汗しつゝ大いに笑ひ汗垂れたり  石田波郷 『鶴の眼』

青蜜柑食ひ父母とまた別れたり  石田波郷 『鶴の眼』

寒林をしばらく兵のよぎりたり  石田波郷 『鶴の眼』

悉く芝区の英霊木枯れたり  石田波郷 『鶴の眼』

朝寒の市電兵馬と別れたり  石田波郷 『風切』

霜の墓抱き起されしとき見たり  石田波郷 『惜命』

汗のハンケチ友等貧しき相似たり  石田波郷 『惜命』

虹消えて土管山なす辺に居たり  石田波郷 『春嵐』

糞汲みの妻が夕焼にまみれたり  石田波郷 『春嵐』

猫じゃらし二人子の脛相似たり  石田波郷 『春嵐』

今日の栄蓼紅き墓に遊びたり  石田波郷 『春嵐』

冬の怒濤綱張って牛ひかれたり  石田波郷 『春嵐』

墨色の金うかべたり日雷  石田波郷 『春嵐』

襟巻厚く初秩父嶺を見て来たり  石田波郷 『酒中花』



全体に重たい印象を与える句が多いのが分かるでしょうか。そして、割と数が少なく、晩年になるとほとんど用いられません。やはり、流行の影響はあるのでしょう。それとともに、「なり」のところで説明したように、波郷が、年齢を重ねて、より洗練された柔かな言葉を使うようになったことも「たり」が減った原因でしょう(ただし、「なり」はあくまで断定ですから気をつけて下さい)。

以上で、一応「をり」「なり」「たり」について一通り見てきたのですが、昨日、いろいろ考えて、やはり推定・伝聞の「なり」について説明をしておかないと片手落ちだということに気がつきました。次回、もう一度「なり」について頭の整理をしたいと思います。


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濃紫陽花重き夜風と別れたり  森器

漱石と名付けし猫の欠伸せる空にわが手の目陰差したり


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拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。