□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(19)

(「水中花・水仙花」より)

ひたすらに酸素吸ふなり菊の香も

季語は、「菊(きく)」で、三秋。

呼吸困難に陥っている波郷。ひたすら酸素吸入器で酸素を吸って病と格闘します。十分に酸素を吸い終わって、吸入器を外すと、花瓶に挿してある菊の香りが鼻から入ってくる。ああ、なんとよい香りだろうと波郷は思ったでしょう。そして、まだ自分は生きているということを確かめてもいるのです。

枯木の眺め代赭色して呼吸難

季語は、「枯木(かれき)」で、三冬。

「代赭(たいしや)」とは何か? 広辞苑に次のように掲載されています。

(中国山西省代県から良質のものを産するのでいう)赤褐色ないし黄褐色の顔料。酸化鉄(Ⅲ)を主成分とするもので黄土に近く、天然物である。

ということで、「代赭色(たいしやいろ)」とは、この代赭に似た色を指します。

枯木を眺めていて、代赭の顔料に近い色だなあ、と思っていたら突然呼吸困難に陥ったということでしょう。その瞬間、褐色の枯木と自分とが同一となったような感じがあったと捉えてよいのだろうと思います。

母亡くて寧き心や霜のこゑ

季語は、「霜(しも)」の傍題、「霜のこゑ(霜の声、しものこえ)」で、三冬。

「霜のこゑ」とは、霜の降りる日は寒く、しんしんと音が聞こえる感じのことを言います。

波郷の母が亡くなったのは、昭和40年11月11日(77歳)。このとき波郷は体調が悪く帰郷することができませんでした。その母が亡くなった翌月の12月に入院をしたわけです。

「母亡くて寧き心や」という感情には三つの思いがあると考えられます。ひとつは、息子の容体を案じていた母が安らかにあの世に逝ったことで、母が波郷のことをひどく心配するようなことがなくなったということ。二つ目は、波郷自身が母の容体を案ずる必要がなくなったということ。そして、もうひとつは、自分がここで亡くなっても、あの世で母と再会することができるだろうという思い。こうした感情をもったのは、「霜の声」がする寒い夜中にふと目覚めたときだったということが下五で分かります。しかし、心のどこかでまだ母の死を受け入れられないような気持ちもあったのではなかろうかと推察しますが、どうでしょうか?

眄に水仙の葉や熱のぼる

季語は、「水仙(すいせん)」で、晩冬。

「眄」は「ながしめ(流し目)」と読むのではないかと思われます。病室のベッドに横になりながら横目で水仙の葉を見つめたということでしょう。水仙の葉のつんとのびつつどこか冷やかな様子が、発熱し始めた波郷のからだを冷やしてくれるような感じがあったのではないかと考えます。


今日の四句でも、人が深刻な病に陥ったときにありがちな五感の冴えというものを感じます。作者(主体)と季語(客体)とがまるで一体化したような感覚は、まるで西田幾多郎の言う純粋経験が表出したような事態であるようにもみえます。

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風薫る母校の窓に赤き花  森器

薫風や空の大穴見尽くせる

薫風や青き封筒すつと切る

風の香や獣医抱きたる犬二匹

Heyといふ声の届きて風薫る


またけふも五月の強き風の吹くつまらぬ独語かき消すやうに

絶唱をせむと真白き雲を見き 空で背伸びをしたる白猫

ノンといふ響きが好きといふ人の面影で呑むアルコールゼロ



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久しぶりに本を紹介します。

斎藤哲也編『哲学史入門Ⅰ―古代ギリシアからルネサンスまで』(NHK出版新書)という新書で、245ページほどの薄い本です。

形式は、人文ライターの斎藤哲也氏が古代ギリシア哲学、中世哲学、ルネサンス哲学の三章に、教科書的な簡単な哲学史を記したうえで、斎藤哲也氏と日本の哲学者四人との対談となっています。

まず、哲学史をいかに学ぶかについて、千葉雅也立命館大学大学院教授、古代ギリシア哲学を納富信留東京大学大学院教授、中世哲学史を山内志朗慶應義塾大学名誉教授、ルネサンス哲学を寺原博明専修大学教授が担当し、それぞれを斎藤哲也氏と対談しながら、小難しい哲学史を分かりやすく説明する内容となっています。

しかも、ただ哲学史を学ぶだけでなく、最近の新しい研究の成果も盛り込まれているところが重要です。

例えば、ソクラテスの「無知の知」という言葉はご存じだと思うのですが、最近はこの言葉は誤解されやすいので「不知の自覚」という言葉に代えられ始めているのをご存じでしょうか? 私はそれを知ってはいたのですが、どうして「無知の知」ではいけないかについてはよく知りませんでした。興味のある方は、是非本書を手に取ってください。

また、中世哲学史、ルネサンス哲学史といったあまり学校では詳しく習わない箇所についても、興味をそそるような内容になっています。

また、付録についている関連年表もなかなか便利です。哲学史の教科書というと大抵は分厚い書物で、本によっては何巻もあるものも珍しくないのですが、この新書なら手元に置いて邪魔になりません。

続編の刊行も予定されていて、とても楽しみです。高校倫理の知識さえあれば読みこなせる内容です。価格は、定価1100円(税込み)。お買い得です。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。