□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(18)
今日より、『酒中花』の「水中花」の章の小題「水仙花」を読んでいきます。
まずは、小題の下に書かれてある波郷の註を記します。
昭和四十年十二月十三日呼吸困難のため入院、四十一年三月二十六日退院。
それでは、冒頭句から。
(「水中花・水仙花」より)
十二月十三日入院
水仙花いくたび入院することよ
季語は、「水仙(すいせん)」の傍題、「水仙花(すいせんか)」で、晩冬。
十二月十三日の水仙の花は、やや早いようにも思えます。生け花でしょうか? 水仙のやや青みを帯びた白い花びらは、冬らしい美しさを湛えていますが、同時に病者の青白さをも感じさせます。措辞は、「いくたび入院することよ」というある意味ありきたりの呟きです。しかし、季語「水仙花」がよく効いていて、しかも動きません。
胸に載れり冬夜呼吸を数ふる掌
季語は、「冬の夜(ふゆのよ)」の傍題、「冬夜(ふゆよ)」で、三冬。
あまりにも痛ましくて鑑賞を避けたくなります。呼吸困難に陥って入院した作者が、病苦のために冬の夜も眠れず、ただただ自分の呼吸の数を胸に載せた手の指を折りながら数えているという景ですね。そこに呼吸ができているという安心感というものはありません。いつかしら自分の呼吸が止まってしまうのではという強い不安があるのです。
実は、私(森器)もこうした経験があり、酸素テントの中で自分の呼吸を数えた時がありました。この句を読んでその当時の記憶が蘇ってしまいました。
点滴も喇叭水仙も声なさず
季語は、「喇叭水仙(らつぱすいせん)」で、仲春。
この喇叭水仙も、花瓶に挿された花でしょうか? 普通は黄色い花が多い気がしますが、そうだとすると点滴の黄色い色と重なります。
波郷は個室に入院していたのでしょう。個室では、プライバシーは守られ、静かで安静にしているのには適していますが、病室で一人でいるときの心細さは、病が重ければ重いほど、強くなるものです。声を出さない点滴の雫、そして大声を発しそうで沈黙している喇叭水仙の姿。下五の裏を返せば、「誰でもいいから声を発してくれ」という波郷の絶唱とも言えます。
咽喉熱く命燃ゆるや年の暮
季語は、「年の暮(としのくれ)」で、仲冬。
咽喉が熱いというのは、咳のためでしょうか? 喀血もあったかもしれません。しかし、その咽喉の熱さを、「命燃ゆるや」と詠嘆しています。病に耐えるということは命が燃えることだと言いたいのでしょう。こんな詠嘆は、死の覚悟なしには言葉にすることができないことだと思います。
季語は、軽く「年の暮」。現在の時を述べたと同時に、これから本格的な冬がやってくることを暗示させる季語です。結局、この季語も動きません。
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新緑に背伸び続けて大人たち 森器
緑さすテラスの猫は昼寝好き
藤若葉新書と古書を積み上げて
空爆の町に緑の影よあれ
新緑や幸福そうな子も泣いて
昨日歩けば今日といふ日を棒にふるそんな日々をも慣れてはきたが
鎮痛薬飲みたしと思ふときふえてカーネションの緋色鋭し
野良猫と顔を合わせてゐる初夏が幸せなんて悔しくもあり
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昨日は、連絡もなく、急遽お休みさせていただきました。申し訳ありません。
一昨日の通院の疲れがとれず、火曜日の午後から昨日の午前中にかけてずっと安静にしておりました。腎臓の悪化からますます疲れやすくなっているのは分かっていたのですが、疲れが抜けるのにも以前よりも時間がかかるようになっているのだなと痛感しました。しかも、疲れといってもただ怠いのではなく、体中が痛いという感覚が続くようになっています。
そういうときに限って、波郷の病苦の句を読まなければならなくなったのです。ただ、私は、波郷の句に強く励まされました。
波郷が亡くなってしまったあたりから、境涯俳句というのはあまり流行らなくなっているようです(もしかすると、それは私が知らないだけで、真摯に境涯俳句を詠んでいる俳人がいるかもしれません)。俳句においても短歌においても病苦を明るく笑いとばすような詩が評価されてしまう時代のように思います。しかし、私はそれはどこかおかしいような気がしています。病者はもっと強い言葉で自分の病苦を語っていいはずです。
私のブログは今後、度々休むことがあるかもしれません。どうかその点はご容赦下さいますようお願い致します。
拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。