□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(17)

(「水中花・リラの香」より)

邂逅やえごの落花の環の中に

季語は、「えごの花(えごのはな)」で、仲夏。

誰と会うことができたのかが分かりませんが、思いがけなく出会った人あるいは人たちがいたのでしょう。その邂逅の場は、えごの木の下。丁度、えごの花が落ちて、幹を中心として地面にその花が円を描いていたところ。えごの落花が何を象徴しているのかと深読みをしたくなりますが、ここはそのままの景を想像しておくだけにしたいと思います。

病室の隅の未明やアマリリス

季語は、「アマリリス」で、仲夏。

病室の隅に未明がある。その暗さは例えようのなく暗い。しかし、今、その病室の隅にアマリリスの花が飾られているのです。その大きな艶やかな花はとても明るい。まさに明けない夜明けがないのだと言いたげに咲いている。この病者(波郷)は、そこに自分の回復への希望を見出しているのではないでしょうか。

  六月二日木本良子さん告別
えご落花踏みがてに棺送りけり


季語は、「えごの花」で、仲夏。

木本良子さんがどんな方なのか、分かりませんでした。おそらくは波郷と同じく国立東京病院に入院していた患者さんなのだと思います。

波郷は、「えごの落花を踏み難く(踏むことができずに)棺送ったのだったなあ」と嘆いています。落花したえごの花に死者の亡骸を見ているかのようです。

となると、「邂逅やえごの落花の環の中に」の句のえごの落花も、先に散っていった人たちを象徴する言葉だったともとれそうです。

汗拭いて汗拭いて妻も老いしかな

季語は、「汗(あせ)」で、三夏。

これは特段説明の要らない句だと思います。暑い、暑いと言って汗を拭く妻あき子さんの様子を見て、年をとったのは自分(波郷)だけではない、妻あき子もまた年をとってしまったのだなあ、という感慨です。

「汗拭いて」の繰り返しが効果的でその暑さが見事に伝わってきます。


短かったですが、これで「水中花・リラの香」は終りです。明日からは、水中花の章の小題「水仙花」に入ります。

なお、途中、私のミスで、次の俳句を読み落としてしまいました。

病室を歩きはじめぬ藤の花

本来、No.310の最後に入れておくべき句でした。申し訳ありません。
句意等については、これも特段説明の要らない句であると思います。

また、「リラの香」の第二番目の句(No.309)である次の句、

吸呑のレモンの水や春の暮

で、私は「レモン」は晩秋の季語と書きましたが、ここは「レモンの水」ですから、「レモン水」という夏の季語であると書くのが正しい読み方だと思います。訂正とともにお詫び申し上げます。

。。。。。。。。。。

錆目立つ折り畳み傘夏浅し  森器

風青し物干竿に番鳩

大風のあとの大雨夏初月

大雨に大泣きしたる青葉かな

薬局に雨の匂ひやレモン水


傘ひらく駅前通り黙々とバス待つ人の列美しき

親子丼慌てて喰らふカウンター卵が先か鶏が先か

プラトンにプラトニック・ラブの言葉なし雨降りやまぬ待合の窓


。。。。。。。。。。

昨日(4月13日)、検査と診察のために病院に行きました。先月末からの体調不良があったので、検査結果を悲観していましたが、案の定、検査値が悪化しました。いよいよ覚悟をしなければならないようです。

以前にも言いましたが、腎機能の急激な悪化は、コロナワクチンの所為ではないかと私は思っています。さらにもしかすると私の胃腸の不調もコロナワクチンが原因なのかもしれません。

しかし、そんなことを言ってもその因果関係を証明することはできませんから、そのことに拘泥する気がありません。一日、一日をしっかり生きなければと今は強く思うだけです。

ただ、私の検査結果を知った妹の涙には参りました。彼女のためにも、次の検査では小幅でもいいから検査値が改善するように日頃の節制につとめたいと思っています。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。