□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(16)

(「水中花・リラの香」より)

  五月十三日山田水歩君十二年の闘病の末八寮個室に逝く
勿忘草いよいよ口を閉ぢて病む


季語は、「勿忘草(わすれなぐさ)」で、晩春。

申し訳ありませんが、山田水歩氏についての情報を得られませんでした。おそらくは俳句を詠む友であったろうと思います。波郷とともに国立東京病院に入院していましたが、残念なことに勿忘草が小さな花びらを閉じて枯れる初夏の5月13日に亡くなったのです。大量の輸血をして生き残ることができた波郷に対して、治療の甲斐なくあの世に旅立った友。ただただ沈黙するほかはないという気持ちが「いよいよ口を閉ぢて病む」の措辞に表れています。痛切な悲しみがしんと伝わってくる句と言えます。

卯の花腐し君出棺の刻と思ふ

季語は、「卯の花腐し(うのはなくたし)」で、初夏。

旧暦四月の別名が「卯の花月」で、その頃に降る長雨を「卯の花腐し」と言います。

この句の「君」は、当然、山田水歩氏のことでしょう。波郷は輸血が終ったとは言え、まだ外出を許されるような状況ではなかったでしょうから、山田氏の出棺に参列することはできず、ベッドの上でその出棺の時刻を待っていたのです。出棺の時刻が来たとき、波郷はきっと静かに眼を閉じ黙禱したでしょう。折しも、卯の花腐しの雨が降っており、鼓膜にはその雨音が響いてきたに違いありません。

山鳩の機嫌の歌よえごの花

季語は、「えごの花(えごのはな)」で、仲夏。

「機嫌の歌」は、いろいろと解釈できそうですが、ここでは山鳩が気分よく声を発している様子だと思われます。「えご」の名は、このエゴノキの果皮が喉を刺激しえごいところからつけられたと言われており、そのあたりで、山鳩の声とえごの花が繋がるのかもしれません。ただ、波郷は、このえごの白い花とその匂いに思い入れがあったようにも感じます。

朝森はえご匂ふかも療養所  石田波郷(『惜命』)

看護婦ささやき左右に岐るるえごの朝

季語は、「えごの花」で、仲夏。

入院していると看護婦さんの動向は気になるものです。白いえごの花が咲いているある夏の日の早朝、白衣を着た看護婦さん達が何やらひそひそとささやいた後、左右に分かれ、つかつかと足音を鳴らしながら急いでどこかへ行ってしまった。こんなときは、何か急変した患者が出たのではないかと自然と案じてしまうものです。「えごの朝」の下五が、漠然としているようでよく効いている気がします。

病床に読みて積む書も薄暑かな

季語は、「薄暑(はくしよ)」で、初夏。

これは特段説明の要らない景だと思います。言えることは、このとき波郷の病状は大分落ち着いて本を読むことができるまでになったということでしょう。薄暑の頃の軽やかさと疲れが同時に感じられるような雰囲気が、この句からよく伝わってきます。


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ヨーグルト腹に沈ませ夏兆す  森器

夏めくや空の青より人の青

夏めきてカレーのレシピ写しけり

夏兆す隠れて生きよの気持ち失せ

夏めくや小皿を洗ふ水しぶき


洗濯を終へて五月の蜂を聴くこの永遠をひとり味はひ


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例年なら一番体調の良い季節なのに体調を崩してしまっています。今年の「夏めく」という季語に対する思いも若干違う感じがあります。

体調が回復したら、まず自分で料理を作ってみたいと考えています。夏と言えばやはりカレーライスを食べたいですね。カレー粉を使ってバターチキンカレーを作るのが私の定番でしたが、今年は何か違うものを作ろうと、気になったカレーのレシピをノートに書き留めています。塩分を極力抑えてなおかつ美味しいカレーが作れるかが思案のしどころです。

四句目の「隠れて生きよ」は、ヘレニズム哲学のエピクロス派のモットー。夏になると、エピクロス言うような「心の平穏」よりも「心の騒めき」のようなものを求めてみたくなりますが、私だけでしょうか。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。