□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(15)

(「水中花・リラの香」より)

天皇誕生日輸血休みてうれしけれ

季語は、「天皇誕生日(てんわうたんじやうび)」で、晩春。

もちろん、この「天皇誕生日」は、昭和天皇の誕生日で、現在の昭和の日、4月29日のこと。波郷が入院したのが、昭和40年4月11日ですから、その18日間、休みなく輸血が行われていたことになります。いかに病状が深刻なものであったかが、これによって分かります。

「輸血休みてうれしけれ」という素直な喜びの声が措辞となっていますが、やはり輸血を受けるということが波郷にとっては心身ともに苦しかったことがよく伝わってきます。

輸血点滴光背なして壺の薔薇

季語は、「薔薇(ばら)」で、初夏。

ちょっと混乱する情景だと思います。おそらく、輸血点滴のパックの向うに壺の薔薇が咲いているのでしょうが、作者の眼にはその遠近感を失って、壺の薔薇の上に輸血点滴のパックが輝いて見えたのだと私は解します。「光背」とは、仏像の背後につける光明を表す装飾のことですね。つまり、輸血点滴パックの輝きが光背で、壺の薔薇は仏像のように見えたということです。

このとき波郷はやはり死を意識していたというほかはありません。苦しい闘病であったのでしょう。仏にでもすがりたい気持ちがあったでしょうし、また回復の兆しを得て、強い感謝の気持ちが湧いたということかもしれません。

全輸血了りぬ薔薇を換へくれぬ

季語は、「薔薇」で、初夏。

前句と次句との関係から考えて、四月末に全輸血が終ったのだろうと推察します。まさに、多くの人の輸血によって支えられた命でした。波郷が、仏とまで見た壺の薔薇も輸血の終了とともに換えられて、また新しい艶のある薔薇が活けられたわけです。その壺の薔薇のように自分(波郷)もまた新しい命に生まれ変わったような新鮮な気分となっていたのだろうとも思います。

八十八夜血色得し手の裏表

季語は、「八十八夜(はちじふはちや)」で、晩春。

「八十八夜」は、立春から数えて八八日目のことで、五月一日か二日にあたります。おそらく、このときには全輸血が終了していたものと思われます。あれほどまで真っ青だった自分(波郷)の手に血の気が戻って赤みがあることに気づいて、何度も手のひらと甲を見ている波郷の様子が分かります。そこには、生きているという喜び以上に、家族や仲間たちに対する感謝の気持ちが強くあっただろうと思います。

八十八夜を過ぎると、気候が安定するので、八十八夜は農家にとって種蒔などの目安になる日とされています。くしくも、波郷の体調も八十八夜の日に回復し、安定したということが言えるのです。

。。。。。。。。。。

若楓万年筆の尖(さき)に触る  森器

淋しさに苦もなき人か青楓

器用なる指に飽かぬ日若楓

白昼の楓若葉に陽の匂ひ

ゆつくりと夕日に消えて若楓


スマホから子鹿のナアと鳴くを聴く馴れ馴れしさもときには嬉し

他人から馬鹿と言はれてわれになほ力のあるを不可思議といふ

決着を自分でつけることなどできないと気がつく頃は初夏の夕方


。。。。。。。。。。。

石田波郷が『惜命』時代に行った胸に合成樹脂球を入れるという手術はもちろん現代ではまずされることのない手術です。しかし、『惜命』当時にはそれが最先端の医療であったと言えなくもありません。

現代においても治療の難しい難病がいくつもあり、さらには新しい病気も次々と発見されてそのたびにいろいろな試みがされています。

残念なことに、そうした難病を背負った人たちは、新しい治療法の実験台となることが少なくありません。私も、少年時代に、まだ日本では行われることのなかった治療を一か八かで行われた経験があり、もしそれが失敗していれば、今、こうしてブログを書いていることはなかったでしょう。

逆に言えば、かつてその病気に罹患した人々がさまざまな新しい治療法を受け入れたことの積み重ねというものがあって初めて現代の治療が成立すると言えるのだろうと思います。薬一つをとってみても、そこに様々な物語が詰まっていると言ってもいいのかもしれません。

コロナワクチンに対する最近の不信感には共感するものがあります。私もコロナワクチンを打つべきかどうか随分と迷いました。結局、三度ワクチンを打って、その度に発熱し、腎臓を悪化させてしまったと思います。しかし、そのことに対しては私は強い後悔を持ってはいません。たぶん、私がコロナワクチンで腎臓病を悪化させたという事実があるので、少なくとも私の担当医だった医師は、腎炎患者にコロナワクチンを打つことをためらうことになるでしょう。

コロナワクチンでは死亡者も出ているようですから、その事実をはっきりさせてきちんと検証しなければなりません。責任者の責任を問うことも必要でしょう。しかし、そういう事案はけっしてワクチンだけの問題ではないということは心の隅に置いておかなければならない気がします。未知の病気は、星の数ほどあるのです。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。