□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(13)

(「水中花・鹿子草」より)

  妻の見舞五十回
てのひらに柴栗妻が残しけり


季語は、「栗(くり)」の傍題、「柴栗(しばぐり)」で、晩秋。

「柴栗」は、クリの一品種。実の粒の小さいもの。また自生するクリの品種を言います。

昭和38年5月14日入院、11月20日退院。その半年間に50回を超えて見まいに訪れた妻あき子さん。きっと見舞いの度に何らかの手土産を必ず持ってきたのでしょう。丁度50回目の見舞いの日には、茹でた「柴栗」を病室に置いていったのです。柴栗は普通の栗よりも甘みが強いのが特徴だそうです。妻あき子さんが持ってきた柴栗もとても美味しい栗だったに違いありません。妻あき子さんが見舞いを終えて帰ったあと、波郷はその柴栗を手に取ってじっと見たのでしょう。その瞬間思わず妻への感謝の思いがこみ上げてきて、じんときたのだろうと思います。柴栗の素朴な甘さが、妻あき子さんの優しさを表しているかのようです。

病廊の後からも黄菊白菊来

季語は、「菊(きく)」の傍題、「黄菊(きぎく)」と「白菊(しらぎく)」で、三秋。

「後からも」というのですから、病院の廊下で、前にも後にも黄菊や白菊を持った見舞客(あるいは患者)が多くいたということですね。つまり、「菊の盛りの季節になったのだなあ、もう、そんな頃になるまで入院をしてきたのだなあ」という波郷の感慨が隠されているとみた方がよいでしょう。

山茶花山羊さらに真白く看護婦出づ

季語は、「山茶花(さざんか)」で、初冬。

山茶花の咲く初冬となり、入院生活も半年を経過したある日、療養所で飼っている山羊を小屋から外へと出している看護婦さんを見たのでしょう。看護婦さんは白衣のままで、その姿は山羊の白さよりもさらに真っ白であったという景ですね。

山茶花の花は普通は、紅色ですが、白色のものもあります。この句の山茶花は白色の花であるとみるとさらに面白い句となるでしょう。

  退院、松濤会へ
茲に残す小几一つ落葉降る


季語は、「落葉(おちば)」で、三冬。

昭和38年11月20日に波郷は、退院します。その際、俳句などを書くのに使った小机を療養所内の俳句会である松濤会に残したという事実を述べています。「落葉降る」で、入院が初夏から冬にまで到った長いものであったことを示すとともに、その机で数多くの作品を生み出したことも示唆しているとみるべきでしょう。


今日のこの四句で、「水中花・鹿子草」の章は終りです。明日からは、「水中花・リラの香」の章となります。


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足取りの軽き少女や風五月  森器

ブロンドの女五月の杜に入る

修司忌の五月詩人は死して成る

少年の傘のコバルト五月来る

聖五月犬も老女も座して待つ


情報は盗まれてゐる隣国の政府と学ぶ日本の餃子

独裁者の夢は恐怖の裏返し濡れし若葉に蛞蝓のゐて

青蜥蜴走り去るのを確かめて空き箱蹴れば割と遠く


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かつて胃の痛みに苦しみ、それからずっと胃の薬を飲んできました。多くの薬を飲んでいることもあって、胃薬はやはり必要なのでしょう。もう飲み出してから15年くらいにはなっています。でも、腸の調子が悪くなることはあまりなかったのです。

腸の不調を感じたのは昨年末くらいからでしょうか? 何となく違和感がありましたが、さしたる症状もなかったので放っておきました。

ところが、先月末からその腸がどうにもならない状況になりました。ノロウイルスを疑いましたが、発熱がなく、しかも良くなったかなと思っても二日後また不調になるという感じでしたから、これはウイルス性のものではないなと私なりに判断しました。

ゴールデンウィーク中のことで、担当医は休診。しかも、妹の胃痛の方がつらそうでしたので、そちらを優先して、私は病院へは言っていません。仕方なく、薬局で、ビオフェルミンを買って、地道に腸内フローラの改善をはかることとしました。

それでも、今も腸の不調が完全に回復することはありません。当分、この違和感を感じながらの生活が続くだろうと思います。腎臓が悪いので、腸が不調でなくても、栄養失調の傾向にあります。また、脱水症状も怖いところです。腸の精密検査も視野にいれなければならないかもしれません。でも、出来ればそんなことをしないで腸の不調が治ってくれることを願うばかりです。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。