□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(12)

(「水中花・鹿子草」)

栗落す男来女来われも行く

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。

療園にある栗の木。何本あるか分かりませんが、多くの男女が栗拾いに出たようなので、ある程度の数があったのでしょう。そんな光景を見ているうちに、波郷も病身ながら栗を落す作業に出て行ったのです。どこか子供っぽいとも言える行為ですが、病室での生活から一時でも解放されたいという病者のこころの現れともとれます。多くの患者、医師、看護師らが集団で栗を落すその一体感もとても好ましいものと思えますが、現代の医療現場で失われつつある、あるいは失われてしまったものかもしれません、

露ちるや鳩降り尾長鳥つづき

季語は、「露(つゆ)」で、三秋。

何の木でしょう。高い木の上から露が散って降ってきたのです。と、見る間に、鳩がその木から降ってくるかのように地上に降り、その後でオナガもまた零れるように降りてきたという景ですね。露が散った原因は、その鳩とオナガにあるのですが、まさに露と鳩とオナガが同時に降ってきたかのような感覚をとらえています。

樹下賑やか秋の彼岸の見舞客

季語は、「秋彼岸(あきひがん)」で、仲秋。

秋の彼岸。秋分の日でしょうか。おそらくは墓参の後に立ち寄った見舞客が、療養所に多く訪れたのでしょう。残暑も終り、心地よい青天が広がっている療園の一本の大木の下に患者とその家族が集まって、愉快に会話をしている。子供たちが、木のまわりを走り回って喜びの声を上げている。そんな彼岸の一日は、ここが療養所であることを一瞬忘れさせてしまうほどの平凡で穏やかな一日なのです。

看護婦のしりへに患者栗拾ひ

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。

栗拾いをしている看護婦の尻にくっつくかのように患者が栗拾いをしている。それだけでも、面白い景ですが、人間の尻と栗とが似通って見えているともとれなくもありません。どこか大らかさを感じさせる景です。しかし、こうした光景もすでに失われた光景なのかもしれません。

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若葉して野猫は柵を跳び越へり  森器

若葉して親指ほどの烏見き

柿若葉白虎のごとき医師あまた

図書館の樟大らかに若葉かな

合鍵に悲しき記憶若葉冷え


今日もまた「隠れて生きよ」の声聞けどわが血の騒ぐ五月となれり

わが家の前で咳払いせる男あり暇にまかせて何を考ふ

自由なるこころはここにあるべしと薄暑の町に耐へて生き抜く


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昨日、胃腸の不調が再発し、今日のブログをどうしようか、迷いました。

しかし、ともかくブログを更新しようとパソコンのキーを叩き始めて、何とか今日のブログをまとめることができました。

やや踏み込みが浅いところがありますが、その点はご容赦願いたいと存じます。

明日はどうなるか? それは今日の調子がどうなるか、ということで、まったく見当がつきません。

出来ることを出来る範囲でやりたいと思います。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。