□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(9)

(「水中花・鹿子草」より)

子猫駈けて霧の病廊なほ醒めず

季語は、「霧(きり)」で、三秋。

朝霧立ち込める病院の廊下。渡り廊下なのでしょうか、それとも窓の開かれた廊下なのでしょうか、いずれにしろ、その廊下を一匹の子猫が駈けていくのを作者は見たのです。やみくもに、しかし溌剌と走る子猫に朝霧さえ乱れるように見えたのでしょう。一瞬、騒然とする大気。そして、その子猫がどこかに消え去った後、ふたたび廊下は静まり、霧がたちこめ、子猫の来る前の沈鬱な病院の廊下に戻ったのです。おそらく、作者以外の患者達はまだベッドの中で眠っている。そんな情景と私は解しました。

青栗の棘やはらかに妻来る日

季語は、「栗(くり)」で、晩秋。

「青栗」という季語はないようです。「栗」は、晩秋の季語ですが、「青栗」ですから、それより少し前、仲秋の頃の景と解するのが妥当と思われます。

妻あき子さんが見舞いに来る日。「青栗の棘やはらかに」ですから、あき子さんが、波郷にやんわりと耳の痛い忠告か愚痴を言うことがあったのでしょう。仕事のことか、家族のことか、入院生活での態度か、そのあたりは分かりませんが、その苦言を「青栗の棘」と形容したのが見事です。療園にある実際の青栗を見て、それを人事に落とし込む発想あるいは技術が素晴らしい一句と言えるでしょう。

夕懈き静臥のあとの走馬灯

季語は、「走馬灯(そうまとう)」で、三夏。

ここで、再び夏の季語である「走馬灯」が出てきます。走馬灯自体が、どこかうつろで寂しげなものですが、この句の配列からいってこれは、秋まで残された走馬灯であるということが言え、さらに寂しさが増しているように思えます。

夕暮、昼間の疲れが出たのか、気怠い感じがして静かに横になった波郷。横になりながら、いろいろな過去が頭を過ります。家族との団欒、旅先での光景、句会での笑い声、戦場であった中国大陸の景色、過去に何度となくあった入院生活、亡くなっていった俳人や患者たちの顔など、思い返せばいくらでも映像が蘇ってきます。そして、その静臥のあと目に入ってきたのが、秋になってもまだ回されている走馬灯。現在とはまさに夢のように過ぎ去っていくものであるという思いがそこにあります。

葡萄まろばせ患者手飼の尾長鳥

季語は、「葡萄(ぶだう)」で、仲秋。

葡萄を手に転がして野鳥のオナガを手懐けている患者さんがいたのでしょう。波郷はその様子を面白いと見て、そのままの様子を句にしています。野鳥を餌付けすることはありますが、オナガを餌付けするのはとても珍しい行為ではないでしょうか。「まろばせ」の一言が、野鳥と戯れている患者の微笑みも伝えてくれています。

白露や切株にあるくさび痕

季語は、「露(つゆ)」の傍題、「白露(しらつゆ)」で、三秋。

白く美しい露が光っている秋の朝、外に出てしばらく散歩に出て、目に入った切株に腰を下そうとしたら、その切株に楔の痕が残っていたという景。印象としては、まだ切られたばかりの木の切株という感じがしますが、このあたりは意見の分かれるところかもしれません。いずれにしろ、波郷はその切株に楔の痕が残っているということに心が向いたのです。楔の痕があるところからするとそこそこ大きな切株でしょう。その木はどんな木だったのか、いったい何のために切られたのか? 木を切った者はどんな男なのか? そんなことをも考えながらなかなか座ることもしないで、切株を見続けたのでしょう。

もちろん、「切株にあるくさび痕」に、自らの手術痕を重ねていたということも考えられます。そう考えると、季語の「白露」に重みを感じます。

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一輪の牡丹の咲いて風荒ぶ  森器

牡丹蘂庭の真中に金の針

黒猫の鳴きたる庭の大牡丹

嗚呼といふ声聞くばかり富貴草

牡丹燃え蝶一頭を迎へけり


雨止んで平然と翔ぶ揚羽蝶悲しきことにわれは人なり

意味の場に存ると思へる極楽の華やかなるとわれは思はず

風荒ぶ穀雨の午後の寂しさを知るはずもなき猫二匹鳴く


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今日の俳句の季題は、「牡丹」。実は、初夏の季語です。

しかし、この陽気で、わが家の庭の牡丹の花が咲いてしまいました。この花以外に牡丹の蕾はありません。それで、初夏の花というのは重々承知の上で、今日の俳句を作りました。

花の王と呼ばれる牡丹ですが、わが家の牡丹は一日にして開き、たちまち散ってゆきそうな様子です。昨日は穀雨。未明の雨が朝には上りましたが、強い風が吹き荒れる天候で、何となく牡丹の花に痛々しささえ感じられました。

その大きな牡丹の花を見つめていたら、揚羽蝶が飛んできました。今年はもう何度も見ている揚羽蝶。こちらも夏の季語ですね。蝶は一頭と数えるべきなのか、一匹なのか、微妙な問題があります。ただ、この大牡丹の前を舞ふ揚羽蝶は一頭と数えたくなりました。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。