□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(6)

(「水中花・鹿子草」より)

紫陽花や帰るさの目の通ひ妻

季語は、「紫陽花(あぢさゐ)」で、仲夏。

少し難解です。

まず「帰るさ」の「さ」ですが、これは接尾語で、動詞の終止形について、「~するとき、~している場合、~する折」を表します。したがって、「帰るさ」全体では、「帰るとき」という意味になります。

「帰るさの目の通ひ妻」は、これはつまり「帰るときの通い妻の目は」ということを言いたいのだろうと思います。つまり、

紫陽花の花が咲いているなあ
通ってくる妻の帰るときの目が忘れられない。

くらいの句意ではないか、と推察します。見舞いにきたあき子さんと入院生活のこと、家族のこと、これからのことなど一通り話終え、面会時間が来て、あき子さんと目を合せながら別れるときの思いは、ただ寂しいというだけでなく、もの悲しさにも似た感情といってもいいくらい複雑であったろうと思います。やはり、この句からも波郷が妻あき子さんを心の支えとしていたということが分かります。

露の試歩悠々自適の歩に似せむ

季語は、「露(つゆ)」で、三秋。

秋の季語「露」が唐突に出てきます(「梅雨」ではありません)。「露の試歩」とは、地表の草に露がついている場所を試歩したということにほかなりません。露がついているくらいですから、滑りやすく歩きにくい場所であったということを言いたいのでしょう。その場所を「悠々自適の歩に似せむ」というのですから、本当はおそるおそる試歩をしているのだが、悠々自適に歩いているように見せようというわけです。この波郷のちょっとした虚勢が可笑しくもあり、またちょっと悲しくもあるところです。

桜桃を洗ふ音個室ひびきけり

季語は、「桜桃の実(あうたうのみ)」の傍題、「桜桃(あうたう)」で、仲夏。

波郷は、個室に入院していたらしいことが分かります。あの大きな秋櫻子の壺も置けるような広々とした病室だったのでしょう。病室には洗面台もあって、桜桃の実はその洗面台で洗われたのでしょう。その桜桃が洗われる音をベッドに横になっている波郷が聞いている。どんな思いが去来したのでしょうか?

病院の個室というのは、プライベートなことは守られる一方、一人になってしまう淋しさのようなものも感じやすい場所です。しかし、桜桃を洗っているということは、桜桃という確かな存在を認識すると同時に、桜桃を洗っている人への思いというものもそこにあると言えるかもしれません。桜桃を洗っているのが、妻のあき子さんなのか、友人なのか、あるいは看護婦さんなのか分かりませんが、人が側にいてくれる安心感を波郷は感じていたのではないでしょうか。

  軽部烏頭子先生は開腹、われは開胸手術したりければ
端居して創痕示す日やあらむ

季語は、「端居(はしゐ)」で、三夏。

念のため申し上げておくと、「端居」とは、夏の夕方など、室内の暑さを避け涼をもとめて縁側や窓辺ちかくに出てくつろぐことです。

軽部烏頭子(かるべうとうし)は、本名、軽部久喜で、生年は明治24年(1891年)3月7日。医師で、俳人。初め、「ホトトギス」に投句していましたが、昭和6年「馬酔木」に移りました。

軽部烏頭子先生は、開腹手術、私は開胸手術をしたのだが、
二人とも健康を取り戻して、
端居をしながら手術の創痕を見せ合ったりする日が
来るのだろうか。

という句意です。波郷の先輩である医師軽部烏頭子はこのとき72歳。病名は定かではありませんが、波郷と同時期に手術をしたのだろうと思います。どうやら軽い病ではなかったようで、同年、昭和38年(1963年)9月20日にこの世を去っています。波郷が願ったように、軽部氏が健康を取り戻し、お互いに創痕を見せ合うといった光景はやってこなかったということです。


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風強き晩春の日の歎異抄  森器

花水木けふも挽歌を口ずさむ

百千鳥大津の宮の思ひ出に

やうやくに蜜蜂花を離れけり

梨の花語り尽くすは幼年期


思ひ出の町中華の店語り合ふ近くて遠き東京の空


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拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。