□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(5)

(「水中花・鹿子草」より)

病む者ら訪ひ合ふ桜の実を踏みて

季語は、「桜の実(さくらのみ)」で、仲夏。

桜は花が散ると青い小さな実を結び、梅雨の頃、その、実が熟れて赤黒くなります。酸っぱくて渋くて、美味しくはないそうです。

東京療養所はきっといくつもの病棟があって、そこを患者が基本的には自由に往来することが可能だったのでしょう。患者同士がお互いの寂しさを慰め合うように行き来するのは、現代ではもしかするとなかなかない光景かもしれませんが、当時は自然のなりゆきだったろうと思います(個人的には私の少年時代(昭和40年代)を思い返すと患者同士の交流が密だったように感じます)。患者同士でとりとめのない話をするのも楽しいでしょうし、もちろん俳句談義だったかもしれません。

ちょうど、梅雨時で、桜の実が地面に落ちていて、それを踏みながら病棟間を行き来したのでしょう。どの病室の床が桜の実を踏んだ靴の裏でうっすらと汚れていたのでしょうか? こうした交流があればこそ、病棟での苦しく長い闘病生活にも耐えられるといったところです。

実桜やベレー戴き尾長鳥

季語は、「桜の実」の傍題、「実桜(みざくら)」で、仲夏。

実桜は、前句の説明どおり、実が熟れて赤黒くなります。

この句の「尾長鳥」は、鶏のことではなく、野鳥のオナガのことです。オナガはスズメ目カラス科の鳥。頭は黒色、腹は灰白色、翼と尾の大部分は美しい灰青色。全長35~40センチメートル。尾は20センチメートルと長いです。群棲し、やかましい声でギャーギャーと鳴きます。美しい鳥であるにもかかわらず、この鳴き声のせいなのか季語になっていません。

本句は、オナガの頭の黒い部分を、ベレー帽に喩えてその姿を称えているようです。オナガは、桜の実を食べにやってきていたのでしょう。姿の美しさと対照的な声のやかましさは、和歌の題材としては不適切かもしれませんが、俳句の題材としては滑稽で相応しい感じがします。病身の身には、そんなオナガの存在が愉快だったに違いありません。

力紐梅雨じめりして妻も来ず

季語は、「梅雨(つゆ)」の傍題、「梅雨じめり」で、仲夏。

「力紐」とは、雪駄の鼻緒の芯に入っている紐のことで、鼻緒の耐久性がよくなり、足あたりが柔らかくなる効果があるそうです。今の鼻緒にはあまりみかけないとのこと。

力紐が梅雨に入って湿ってしまってきっと妻は来ないのだろう、という句意ですが、それほど雨の多い湿った長い梅雨だということが言いたかったのでしょう。同時に、妻が見舞いに来ない淋しさもほのめかした面白い句となっています。力紐という存在と妻あき子さんの存在が重なって見えたとも言えます。力紐のごとく妻あき子さんは波郷にとっての心の支えであったと言えるでしょう。

夏柑やどつと笑ひて創痛む

季語は、「夏蜜柑(なつみかん)」の傍題、「夏柑(なつかん)」で初夏。

最近、本当の夏蜜柑が売られていることはなかなかありません(改良品種の甘夏は売られていますが)。夏蜜柑は苦みのある酸味が涼をよぶ、などと歳時記にはありますが、実際には非常に酸っぱい果物で、食べると汗が噴き出すほどでした。

措辞は、「どつと笑ひて創痛む」で、創(きず)はもちろん手術の創。胸部、腹部に手術をした経験のある方ならすぐ分かりますが、手術後、笑った拍子に手術の創が痛むということはよくあることですね。こちらも、笑った瞬間、汗が噴きでるほどの痛みだったのでしょう。「夏蜜柑」を季語に用いた効果がここにあると思われます。

掃除夫も手術帽せり栗の花

季語は、「栗の花(くりのはな)」で、仲夏。

「栗の花」は、初夏の頃、黄白色の花穂を枝先に上向きにつけますが、大房になると花火のように八方へ垂れ、青臭い独特の匂いを遠くまで漂わせます。

掃除夫が、清掃の際に、どういうわけか手術帽をして現れたという景を面白いとみて詠んだ句な訳ですが、「栗の花」という季語が冴えています。栗の花の様子がモップを持った掃除夫の様子を想像させますし、何よりそのにおいを感じさせます。この季語は、動きません。

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むらさきの花に漂ふ熊ん蜂  森器

熊蜂のひとりよがりを許す路

熊蜂の背(せな)の黄色に眼を焼かれ

古代より来しか熊蜂丸々と

熊蜂や医師の眼鏡の奥深し

熊蜂やわが腎臓もぶんと鳴る

熊蜂をよけて青空澄みわたる


人はよし思ひ止むともさくらばな散りにし苑をひとり歩まむ


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病院への通院の道すがら、一匹の大きな熊蜂を見ました。下を見て歩いていて、ふと前を向いたら熊蜂が目の前にいて、ちょっと驚きました。さっとよけて目を横にやると、その道の塀の向うに藤の花がもう咲いているのに気がつきました。桜がほぼ終わりかけているなか、もう藤の花の見られる季がきていたのだと気づかされました。

熊蜂は、実は私のお気に入りの昆虫で、いつもその存在感のある姿に目を奪われてしまいます。路地の真ん中でなければ、まじまじとその姿を見て、にやにやしていたでしょう。

先日、浮腫みが起きて一日お休みをいただいた私でしたが、担当医師にあまり心配することもないだろうと言われて、若干、ほっとしていたときに起きた珍事でした。

短歌は、天智天皇が崩御されたときに倭大后がお作りになった御歌で、

人はよし思ひ止むとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも(巻二の一四九)

をリスペクトして作った歌です。NHKテキスト『万葉びと、その生と死と』(上野誠)のなかにこの歌を見つけて大変感動致しました。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。