□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(75)

(「冬」より)

  我孫子にて 三句
琅玕や一月沼の横たはり


季語は、「一月(いちがつ)」で、晩冬。

我孫子は、数多くの文化人が風光明媚な場所として手賀沼畔に住居や別荘を構える文化都市として栄え、広く「北の鎌倉」と称されました。

「琅玕(らうかん)」は、本来は硬玉の一種で、暗緑色または青色の半透明の美しい石のことです。美しい竹のことを指すこともありますが、ここは沼の色のことのようです。

『波郷百句』に自解があります。

昭和十八年一月手賀沼吟行。沼は琅玕色に横たはつてゐた。

篁や九年母いよゝ現はれて

季語は、「九年母(くねんぼ)」で、晩秋。

「九年母」は、蜜柑に似たタイ・インドシナ原産の柑橘類。とても香りがよいらしいが、現在栽培は盛んでない。

竹藪があるなあ。
香り高い九年母が
いよいよ卓に現れて。

波郷は、我孫子というところがとても気に入っていたようです。そしてこの九年母もよほど好きだったようです。待ちに待った九年母という感じが伝わってきます。

松風や枯壟草に吹落とし

この句はまったくのお手上げです。「枯壟草」が、どんな草なのか私にはまったく分かりませんでした。なお、原文では、「壟」ではなく、土偏に龍となっています。パソコンで表示することができませんでした。

もし「枯壟草」が、何であるかご存じの方は、是非コメントいただきたいと存じます。

薄雪や簷にあまりて炭俵

季語は、「雪(ゆき)」で、三冬。

薄っすらと積もった雪。家々の屋根にも薄雪が積もっているのでしょう。その家の簷(のき)の下に黒い炭俵が余って積まれている。その薄雪の白さと炭俵の黒との対照が面白い句と言えます。当然ながら、この雪の景は北国のそれではなく、関東の雪(東京の雪)であると言えるでしょう。

雪上や雨ふりそゝぐ藪がしら

季語は、「雪(ゆき)」で、三冬。

「藪がしら」の意味がよく分かりません(ヤブカラシではありません)。おそらく、藪の梢のあたりということなのではないでしょうか。

雪の上にいるのでしょうが、雪が雨に変って藪の梢のあたりにしきりに降り注いでいるという景でしょう。この雪も、おそらく関東の雪だと思われます。せっかくの雪景色が雨によって溶けてゆくのですが、その光景もまた幻想的な景と言えるのかもしれません。

春を待つ人篁にかくれけり

季語は、「春待つ(はるまつ)」の傍題、「春を待つ」で、晩冬。

春を待つ人が誰で、どうして竹藪にかくれたのかは分かりませんが、おそらく春を待っている人は、波郷自身であり、春が来るまで、世間から逃れて竹藪のような場所(自室?)に隠れていたということを言いたいのでしょう。戦時下であることを考えれば、戦争が終わるのを待って、その間、隠れてじっとしておきたいという気持ちを詠んだ句と私は考えました。

  急ぎの仕事ありて
小机に縛られゐるや春隣


季語は、「春近し(はるちかし)」の傍題、「春隣(はるとなり)」で、晩冬。

急ぎの仕事。この句が『風切』の最後の句であることを考えると、『風切』の原稿をまとめるとか、校正をするとか、そんなことをしていたのかもしれません。春の近づいているのをひしと感じつつも、家の小さな机に縛られてとにかく今目の前にある仕事をやり終えなければならない状況があるという訳ですね。

以上で、『風切』の最後の句を読み終えました。途中、何句かとばした俳句もあります。どうかご了承ください。


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朝桜そぼち白衣の人走る  森器

雨上り白さ増したる花の門

見下ろせるマンションの人春の花

病棟の枝垂桜のつつがなし

日の射して花喝采に応えたる


朝の雨止んで大気のしつとりとわが身を包む桜木の下

馬酔木咲く研究棟の裏庭にひとり佇み命を思ふ

疲れたる瞳の映すつばくらめ何を思つて空気を断つや


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昨日は、通院の日。検査値は悪化したものの、まだ透析には至らず、ほっとした次第。覚悟は決めているのですが、私が透析を受けるようになった後のさまざまな不安が頭を過って、何も手のつかないときもあり、やはり検査の結果が気になってしまいます。

この時期、病院の桜を見るのがひとつの楽しみ。今年は、やはり花の開くのが遅く、まだ五分咲きに満たないくらいでした。しかし、今年のソメイヨシノは、寒さが長引いたせいか、白さが際立っているように感じました。

この先、しばらくは桜のことを気にかけることとなりそうです。関東地方は、今週雨がちの予報が出ていますが、「花の雨」という季語もあります。楽し気な花見にはまったく縁のない生活を続けていますので、せいぜいしっかり俳句(駄句)を書き溜めておきたいと思います。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。