□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(72)

(「冬」より)

父と子や樏の跡混へつゝ

季語は、「樏(かんじき)」で、三冬。

『風切』掲載の句を作っているときは、まだ長男修大は生まれていませんので、この父と子は他人であると思われます。父と子が実際に歩いているのを見てこの句を詠んだのか、それとも単に樏の跡だけを見て父と子の様子を想像して詠んだ句か、はっきりしませんが、私は後者のような気がします。真っ白な雪道を大きさの違う樏の跡がところどころで交錯しながら残っている様子が目に浮かび微笑ましい感じがします。

もし、この句を詠んだときが昭和17年の冬ならば、妻・あき子さんは身ごもっており(長男修大は、昭和18年5月19日に誕生)、おのずと生まれてくる子供のことが念頭にあったのかもしれません。

南天や八日は明日となりにけり

季語は、「南天の実(なんてんのみ)」で、晩秋となりますが、「八日は明日となりにけり」の言葉から、この日が「七日(なのか)」であることが分かります。つまり、この句は新年の句です。

南天の実が赤く美しいなあ。
もう明日は八日で正月気分もお終いなんだなあ。

という句意。

ちなみに正月七日は、年改まる日と考えられ、この日は大正月が終わり、小正月の始まる日として七草粥を食べる風習が平安頃より行われ、今に続いています。また、七日に門松などの正月飾を外す地域も多いことから、正月気分に大きな区切りをつける日ともされています。

夕月に湯屋開くなり近松忌

季語は、「近松忌(ちかまつき)」で、仲冬。

陰暦11月22日が、近松忌。巣林子忌(そうりんしき)、巣林忌(そうりんき)とも言います。

『波郷百句』に自解があります。

戦争第二年。朝風呂は無くなり夕方開くやうになつた。表の開くのを待つて若い女が三四人道に立つてゐる姿などをよく見かけた。

この自解にある風景と近松忌との関係については、言及がありません。ただ、物語でも生まれそうな夕風呂の光景であったのかもしれません。

世田谷に小家みつけぬ年の暮

季語は、「年の暮(としのくれ)」で、仲冬。

これは、駒場アパートから引っ越して一軒家を探していて世田谷にそれを見つけたという事実よりも、石田家に家族が増える喜びを暗に表している句でしょう。つまり、妻あき子さんが妊娠したので、手狭になった駒場アパートを離れることを決めたということです。


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菜種梅雨ひそと置かれし意見箱  森器

菜種梅雨雨より風のバス通り

味噌汁を作れば余る菜種梅雨

干物焼く煙の撓む菜種梅雨

菜種梅雨ジンジャエールにむせてをり


雨の日の特売狙ひスーパーに急ぐ夕暮れ雨脚強し

酒饅頭食べれば分かる餡の味廉価なれどもしつかり甘し

日常に追はれてゐるも愉快なり春の雷とどろく夕べ


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俳句ポスト365に投稿していた句が、中級以上コースで並選をいただきました。中級コース2回目の挑戦でした。兼題は「余寒」。

旧約の金字剥げたる余寒かな  森器

大変、ありがたいことだと思いますが、私はすでに初級者コースでのやり直しを決意しました。やはり、初級コースで特選をとるくらいの実力がないと夏井先生の目を惹く作品を作るのは難しいと考え直しました。

俳句ポスト4月の兼題は「山笑う」。ふだん山を見ることのない私にとっては、一番手強い季語のひとつで、アメブロ掲載句ではたぶん使ったことのない季語です。はたしてどうしたものかと頭を抱えているところです。

投稿と言えば、NHK俳句にも投稿していますが、こちらも不調。いろいろ原因がありますが、何より経験不足が一番の理由でしょう。

兼題から佳句を作ることが得意にならないといけないなあ、と少々焦り気味なところがある昨今です。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。