□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(69)

(「冬」より)

風花やあとりの渡りちりぢりに

季語は、「風花(かざはな)」で、晩冬。
「あとり(獦子鳥)」も季語で、こちらは晩秋。

「風花」とは冬の青空に舞う雪のこと。風に舞い散る花のような雪という意味。

どこか高原の林の近くにいるのでしょう。風花、つまり青空に舞い散る雪の中を、キョキョキョと鳴きながらアトリが飛んでいるという景です。アトリは複数いて、それがまるで風花につられるようにちりぢりになって飛んでいるわけです。

落葉松や柄長渡りの木葉雨

季語は、「木葉雨(このはあめ、木の葉の雨、このはのあめ)」で、三冬。
「柄長(えなが)」も季語ですが、三夏。

「木の葉の雨」というのは、この葉の散り続ける音を雨音に喩えた表現です。

「落葉松(カラマツ)」は、日本の針葉樹のうち唯一の落葉樹です。その落葉松の葉が次々に散っていく様子を「木葉雨」という季語を用いて表現したわけですが、その木の葉の雨の中を、小さな愛らしい野鳥のエナガが渡ってゆくように飛んでいるという景です。前句と同様、季重なりであることを承知で、冬の野鳥の様子を細やかな景で表したといえるでしょう。

  鎌倉建長寺
松籟やしぐれぐもりの甃


季語は、「時雨(しぐれ)」の傍題、「時雨雲(しぐれぐも)」で、初冬。

「建長寺」は、鎌倉市山之内(北鎌倉)にある臨済宗建長寺派の本山。山号は巨福山。県庁元年(1249)北条時頼が蘭渓道隆を開山として創建。鎌倉五山の第一。創建以来、数度の火災に見舞われたが、江戸時代に再建されて今日に至る。(広辞苑より)

建長寺公式サイト 

https://www.kenchoji.com

鎌倉建長寺での句。「松籟」は、松に吹き通る風、また、その音のこと。「甃」は「いしだたみ(石畳)」。

松を吹き通る風が吹いているなあ。
鎌倉建長寺の甃が時雨雲に翳っている。

ということです。中七が「しぐれぐもりの」とひらがなになっています。時雨雲の淡さのようなものを表現するとともに、ここでリズムを落して、最後の「甃」を際立たせているものと思います。

  鎌倉十橋のうち
篁の纏く蔓枯や歌の橋


季語は、「枯蔓(かれづる)」で、三冬。

「たかむらのまくかれづるやうたのはし」

鎌倉十橋(かまくらじつけう)とは、鎌倉を流れる滑川などに架かる橋の中で、古くから重要な交通路にあった橋や、伝説に伝わる十の橋のことです。現在は橋としては残っておらず、碑だけが残っているところもあります。

その鎌倉十橋の中に「歌の橋」があります。

金沢街道を杉本寺から150メートル程西に行った所。二階堂川が滑川に流入する辺りに架かる橋。1213年(建保元年)、渋川刑部六郎兼守が謀反の罪で捕らえられたとき、無実を訴えるために和歌十首を読み、荏柄天神社に奉納しました。歌人としても知られる当時の将軍源実朝はその和歌を見て感動し、その罪を許したため、兼守は死刑を免れました。そのお礼にと荏柄天神社の参道近くにこの橋を架けたので、この名がついたと言われています。(鎌倉市観光協会の公式サイトによる)

竹藪が纏う蔓が枯れているなあ。
ここがあの鎌倉十橋のひとつの歌の橋だ。

実朝好きの波郷が、この歌の橋に来て、深く感動したことは想像に難くありません。

  鎌倉杉本寺
柊の指さゝれたる香かな


季語は、「柊挿す(ひひらぎさす)」で、晩冬。

「柊挿す」とは、節分の夜、魔除けとして、焼いた鰯の頭を柊の小枝に刺して門口に挿す風習。

「杉本寺」は、鎌倉・坂東三十三観音霊場第一番札所である鎌倉最古の寺院。

杉本寺公式サイト https://sugimotodera.com

 

 

鎌倉杉本寺の節分の夜、
指のような柊が挿されている
その香りがしている。

「香」と言っていますが、これは鰯の臭いでしょう。悪鬼が柊の枝で目を指し、鰯の匂いに閉口して逃げ出すという一種のまじないですから。鎌倉最古の寺院である杉本寺の柊ですから、魔除けとしてこれ以上のものはないということでしょう。


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勿忘草書籍抱へて唇を嚙む  森器

ふるさとも勿忘草も風に揺る

ミヨソティス大きな鉢を選びけり

ミヨソティス古き手紙に恋の詩

やや強き関東の地震(なゐ)藍微塵



空を見る人のひとりとなりにけり雲流れても吾はここにあり

ヒヤシンス倒れて咲くは哀れなりただただ甘き香り放ちて

強がりて彼岸の風の中をゆく囀りもせず鳥は飛び立つ


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勿忘草(わすれなぐさ)の苗を一苗だけ買って、庭の植木鉢に植えました。

勿忘草は、ムラサキ科の多年草で、ヨーロッパ原産の帰化植物です。

傍題は、「ミオソティス」「わするな草」「藍微塵」。

学名の「ミオソティス」は、ギリシア語で「ハツカネズミの耳(のような葉のある植物)」の意味。また「忘れなぐさ」の名は、ドナウ川の岸に咲く子の花を恋人ベルタに贈ろうとして川に落ちた騎士ルドルフが、「私を忘れないで」と叫んで死んでいったというドイツの伝説に由来。花言葉は、「真実の愛」「誠の愛」「私を忘れないで」。

少し例句をあげてみます。

奏でる海へ音なく大河勿忘草  中村草田男
勿忘草日本の恋は黙つて死ぬ  中村草田男
勿忘草わかものゝ墓標ばかりなり 石田波郷
勿忘草いよいよ口を閉ぢて病む  石田波郷
わがための勿忘草を妻の墓  森澄雄
雨晴れて忘れな草に仲直り  杉田久女
藍微塵遠き師の恋歌の恋  石原八束
宮殿の勿忘草に森開け  稲畑汀子
旅疲れ勿忘草の風に癒ゆ  大木さつき


この中で、やはり私が好きなのは、波郷の「勿忘草わかものゝ墓標ばかりなり」でしょうか。戦後に発表された「雨覆」の中のこの一句の痛切な思いは、深く心に刺さります。まさに忘れてはならない事実を詠んだ、忘れてはならない一句でしょう。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。