□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(68)

(「冬」より)

  御射山趾
枯草の桟舗なせるを偲ばむや


季語は、「枯草(かれくさ)」で、三冬。

「御射山(みさやま)」は、長野県中部、霧ヶ峰高原にある祭儀・競技場遺跡。くぼ地を囲む三方の斜面に階段状の桟敷があり、鉄鏃、馬具、土師器などが出土。平安・鎌倉期に諏訪大社下社の神事や小笠懸などの武技が行われた。なお八ヶ岳南麓にも御射山という地があり、上社の御射山祭を伝える。(コトバンクより)

とあります。前者の霧ヶ峰高原の遺跡なのか、八ヶ岳南麓の御射山なのか、実はよく分かりません。

次の「鷹現れていまぞさやけし八ケ岳」を考慮すると、後者の八ヶ岳南麓の御射山のような気もします。

しかし「御射山趾」と前書していること。また「桟舗」は「さんじき」あるいは「さじき」と読むらしく、ほぼ「桟敷」と同じ意味で用いられているのではないか、と思われること(微妙に違うらしいのですが詳細はよく分かりません)。この二つ根拠にすると霧ケ峰高原にある祭儀・競技場遺跡であるように感じます。

ここは一応、霧ケ峰高原にある「御射山」と解しておきたいと思います。

御射山の遺跡で、
枯草で桟敷席としたであろうことを
偲んでいたのだなあ。

くらいの句意でしょう。

鷹現れていまぞさやけし八ケ岳

季語は、「鷹(たか)」で、三冬。
「さやけし」は、「爽やか(さはやか)」の傍題で、三秋の季語。

この「さやけし」は、くっきり際立って見える、くらいの意味で使われていると思われます。

(青天に)鷹が現れて、
まさに今、八ヶ岳が
くっきりと見える。

茶柱の小春ばかりにあらぬかな

季語は、「小春(こはる)」で、初冬。

茶柱が立つのは、小春の日ばかりではないよ、と詠んでいます。寒い寒い冬の日でも、茶柱は立つのだということです。さらに言えば、茶柱が立つような良いことは、必ずしも平安な小春の日のような日とは限らず、困難な日々の中にも起きるものだよ、と言っているのだと思います。時局に厳しい折にも、きっと良いことがある、と状況をポジティヴに捉えようとしている波郷の思いが伝わります。

霜柱俳句は切字響きけり

季語は、「霜柱(しもばしら)」で、三冬。

『風切』の象徴とでも呼ぶべき一句。

一見すると、俳句にとっては切字が大切だという方法論の句と捉えるだけになりがちです。もちろん、それは間違いではありません。波郷が、俳句の散文化を嫌い、韻文精神に則り、切字を積極的に使って句を作るべきだと主張してきたことは、何度となく、本ブログでご紹介してきました。

ただ、この句の季語が、なぜ「霜柱」なのか、について考えるとなお謎を含んでいると思います。

形状から言えば、霜柱が立つという言葉あるように、俳句もまた発句として立つという意味がある気がします。霜柱と俳句似ているかもしれません。

しかし、私はあえてこの句の裏を考えてみたいと思います。この『風切』が作られた時期というのは、俳句にとってけっして恵まれた時期ではなかったということが言えるのではないか、と考えられるからです。

波郷は、確かに俳句の散文化を嫌ってはいました。また、戦争に断固反対するような立場をとっていた訳ではありません。その意味では保守的と言ってよいかもしれません。けれども、一方においてこの当時の俳句の状況を冬の時代と捉えていたのではないか、と私は考えます。俳人たちがさしたる理由もないのに次々と官憲に逮捕される事態を波郷は面白くは感じていなかったでしょう。

この俳句の冬の時代に、あくまで自然や生活を詠むことを第一と考えていたのが波郷です。厳しい旅の中で感じ取られる自然を詠み、戦局が厳しくなる中で苦しい生活を強いられた庶民の営みや感情を表現することに苦心し、そして編まれたのが、この『風切』であると言えます。その意味での季語「霜柱」ではないか? というのが私の解釈です。

皆さんはどう考えるでしょうか?

。。。。。。。。。。

慈雨待ちて春分の日の黒手帳  森器

春分の別れと出会ひ重なりぬ

春分や肩透かしまで決められて

万年筆ふつて正しきお中日

春分の鉢や呼吸のさまざまに


また春の嵐の気配がたがたと硝子戸揺れて明日を待ちたり

春分の日の別れの予感際立ちてコーラの泡の溢れたる夜

生きるとも死すとも顔は残されて昨日の月の裏側となる


。。。。。。。。。。

見えているものがすべてではないし、
語られていることがすべてではないと思います。

そんな当たり前のことが分からなくなる。
それが現代の最大の病の一つです。

一本のペンを見ることにします。
この私は、直感的にそれがペンであることを認識します。
同時に私だけでなく、隣にいる彼もまた、それがペンであることを認識します。
これは、実に奇跡的なことです。

一方、このペンを直感的に認識することができるとしても、このペンがどんな意味を持つかについては、実はまだ分かっていません。目だけでは、このペンが、例えば、学生が使っているペンなのか、教師が使っているペンなのか、作家が使っているペンなのか、政治家が使っているペンなのか、そんなことさえまったく分からないからです。

私たちがこのペンを知っているというのは、ペンに纏わる物語を知っているということです。しかし、その物語は、いわば果てしない物語なのです。言葉は有限ですが、物語は無限です。

有限な生であるこの私は、このペンの持つ意味、このペンが語る物語すべてを知ることはできません。

もちろん、私たちが生活するためには暫定的な物語を知っておけばいいわけですが、心のどこかで、これは暫定的な物語だということを感じておかないといけないだろうと私は強く思っています。

この結論からして、私は死刑廃止論者なのですが、それはともかく、時代はまったく逆の方向に流れていっている感じがします。小さな物語しか語れなくなっただけでなく、小さな物語を信じるように仕向けられているといったらいいのかもしれません。陰謀論とはその一つの有りかたであると思います。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。