□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(67)

(「冬」より)

  スラバヤ、バタビヤ沖海戦ニュース
海戦や炭火の息のはげしさに


季語は、「炭火(すみび)」で、三冬。

スラバヤ沖海戦は、太平洋戦争最初の水上部隊間の海戦であり、1942年2月27日に勃発。日本軍側の勝利。

バタビヤ(バタビア)沖海戦は、1942年2月28日深夜から3月1日未明にかけての海戦。日本軍側の勝利。

詳細はWikipedia等で確認して下さい。ここで、肝心なことはこの二つの海戦において日本軍側が勝利をおさめたことで、その勝利の様子が映画ニュースで大々的に放映されたこと。

波郷のこの句には、その大勝利に対する観客の興奮が伝わってくるかのようです。

スラバヤ沖、バタビヤ沖海戦の映画ニュースを見て、
ああこれが海戦なんだなあ、
艦船の炭火の激しい息遣いが伝わってくる。

といった意味だろうと思います。

浅間山空の左手に眠りけり

季語は、「山眠る」で、三冬。

浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2568メートルの成層火山。

浅間山が空の左手に眠っていたなあ、とだけ呟いた句。果たして軽井沢にいたのか、嬬恋村の方にいたのか、この句からでは分かりませんが、軽井沢も嬬恋村も波郷にとってはよく知っている場所でした。「山眠る」は冬の季語ですが、同時に浅間山が噴火せずに静かにしている状態も暗示しているのでしょう。空はは冬晴。浅間山の美しい稜線が目に見えるようです。

  八島平鳥屋
木葉木菟悟堂先生眠りけり


季語は、「仏法僧(ぶつぽふそう)」の傍題、「木葉木菟(このはづく)」で、三夏

「伍堂先生」は、中西悟堂氏(1895年11月16日‐1984年12月11日)のこと。日本の野鳥研究家で歌人・詩人。「野の鳥は野に」の標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こしました。日本野鳥の会を設立した人。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。

「八島平」は、霧ヶ峰八島湿原のこと。鳥屋については詳細不明。

八島平の鳥屋で
木葉木菟が鳴いている。
中西護道先生はもう眠って
明日の朝に備えていらっしゃるのだなあ

くらいの句意でしょうか。木葉木菟は声の仏法僧。本来夏の季語ですが、ここは冬の章であるにもかかわらず用いています。八島平で中西悟堂先生に会ったのが冬であり、その冬にも木葉木菟の声がしたのでしょう。季感よりも実感を重んじた波郷らしい季語の扱い方です。

おくれくる鶫のこゑも別れかな

季語は、「鶫(つぐみ)」で、晩秋。

おくれて聞こえてくる鶫の声も
別れの声なんだなあ。

という意味でしょう。この句が前句と関係があるかどうか? もし関係があるとすると、この別れは八島平との別れ、あるいは、中西悟堂先生との別れを意味しているものと思われます。

季語、「鶫」も晩秋の季語。やはり実感を重んじています。

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慣れぬ手に傷か球根植ゑにけり  森器

グラジオラス植ゑて剣を隠しけり

チューリップ植ゑて右手を翳しけり

彼岸西風ネメシアの花震へけり

病むことも一生(ひとよ)の香りヒヤシンス


ヴェンダース観たくて飲みしカロナール不完全な日のPerfect Days

Koji Yakusyo の微笑にどこかチャップリンの哀愁ありて心打たるる

良い映画だったとわれは満ち足りてpopcornをつまみ語りぬ


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ネメシア
ネメシア

 

ヴィム・ヴェンダースのPefect Days を観る約束をしていました。
頭痛があって、やむを得ず、鎮痛剤を飲んで出かけました。

若い頃ヴェンダースが好きだったのです。「都会のアリス」「パリ・テキサス」「ベルリン天使の詩」といった映画の名前を聞くとたまらない気持ちになります。

妹は、ヴェンダースを観たことがないと言っていたので、是非観てもらいたかった。これが兄が心から愛した映像世界であるということを知っていて欲しかったのです。

頭から終りまで役所広司という俳優のために作られたかのような映画でしたが、その役所広司の演技が素晴らし過ぎたという印象です。

浅草の地下街の映像はあまりにも懐かしくて泣きそうになりました。

ヴェンダースの映画は、観客を疲れさせません。優れた映画はほとんど観客を映像の中に引きづりこむのですが、ヴェンダースの場合、そこに強引さがありません。私はどっぷりとヴェンダースの映像に浸りながら、心地よい音楽を聴くかのように映像を見続けることができます。

妹も十分に満足したようでした。もしかすると、これが妹と観るヴェンダースの最初で最後の映画なのではないかと思ったりもしました。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。