□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(62)

(「冬」より)

河豚を煮てこの刻歳の逝きにけり

季語は、「行く年(ゆくとし)」の傍題、「年(歳)逝く」で、仲冬。
「河豚(ふぐ)」も季語で、三冬。

大晦日の夜遅く河豚鍋をすることにしたのでしょう。誰が河豚をさばいたのかは、この句からは分かりませんが、目出度い元旦の前日に危険な河豚を食べようというのですから、いい度胸です。その気持ちが中七下五の「この刻歳の逝きにけり」に表れています。河豚を煮ているうちに除夜の鐘が鳴り、いよいよ0時となった。それを「歳の逝きにけり」と、恐らくは意識的に「逝く」という言葉を使っているのです。もしかすると自分の命もここで終るかもしれない、この目出度い元旦に、と笑っている波郷のユーモアが素敵です。

常盤木の槙の黝さや寒了る

季語は、「寒」で、晩冬。
「寒了る」という季語は、ないようです。「寒明(かんあけ)」だと初春(早春)の季語となります。

「常盤木(ときはぎ)」は、常緑樹のこと。槙はこの場合杉か檜あたりでしょう。

「黝さ」は「くろさ」と読みますが、もともとは「黝い(あをぐろい)」という意味です。

常緑樹である槙の木が黝く輝いているなあ
寒が終ろうとしている。

という意味でしょう。槙の木をわざわざ「常盤木」すなわち常緑樹と形容することによって、冬枯れの木の中で目立っている緑の木を取り上げて、その槙の木もあおぐろく見えるようになってきた。ああ、寒も終りを迎え、次第に木々も春に向けての準備を初めているのだなあ、という感慨を詠んだ句と言えるでしょう。

  志摩芳次郎結婚
寒三日月新婚の車砂利踏み出づ


季語は、「冬三日月(ふゆみかづき)」の傍題、「寒三日月(かんみかづき)」で、晩冬。

志摩芳次郎は、俳人、作家。詳細が分かりませんが、生年は1908年(明治41年)、没年1989年(平成元年)。「俳句をダメにした俳人たち」などの著書あり。

げじげじや霧にゆらぎてランプの灯  志摩芳次郎
七日はや煤によごれし軒雀
寒明けの咽喉下る水ひびくなり
寝に戻るのみの鎌倉星月夜
焼跡の道問はれたり夕ざくら
秩父嶺の空さだめなき水葵
降る雪のつもる濃淡ありにけり
青木の実朱をこぞりたり家低く


志摩芳次郎が結婚して、
寒三日月の出ている夜、
新婚の二人を乗せた車は
砂利道を踏んで出て行った。

ということですが、志摩芳次郎は当時波郷が信頼を置いた俳人であったことがよく分かります。波郷は、自身の出征後の「風切会」を志摩芳次郎に托しました。

短日も日曜なるや菓子を食ふ

季語は、「短日(たんじつ)」で、三冬。

俳句ってこれでいいんだ、と思わせるほど簡明な句。しかし、定職を持たない波郷にとって「日曜」というのは、何とも言い難い曜日であると言えるでしょう。普通の家庭が、家族との憩いの時間を楽しむ日曜日に、波郷はこれといって特別なことをすることもなくいつものように菓子を食べている。子供がいれば、ともに菓子を食べ合うということもあったでしょうが、『風切』の句を作っているときには、まだ長男修大は生まれていません。(長男修大が生まれたのは、1943年(昭和18年)5月19日。同月『風切』刊行)


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春暁の湯冷めに青きタオル巻く  森器

税務署に長き列あり春眠し

植込みに思はず倒れ土の春

春景にペダルは軽し牛丼屋

ミモザの黄卓を彩る喫茶店


前籠に書類を入れてペダル踏む初めて通る税務署の門

税務署に並びし人の隠したる怒りは春の光にて消ゆ

税務署に墨で書かれし標語あり紙の多くに皺の目立ちて


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昨日は、東日本大震災の日でした。あえて言うまでもありませんが、2011年3月11日14時46分にその地震は発生しました。死者・行方不明者は2万2318名(震災関連死を含む)に達しました。

そして、福島第一原子力発電所の事故も起きました。あれから、13年が経ちましたが、一粒のデブリも取り除くことができずにいます。すでに10兆円以上の事故処理費用が使われているにもかかわらずです。

この分でいくと福島第一原子力発電所の廃炉に一体いくらかかるのか、そしていつになったらそれが終るのかまったく見当がつきません。

今年の元旦に起きた能登の地震でも、志賀原発に重大な被害がありました。志賀原発は稼働していなかったので、ことなきを得ましたが、もし稼働していたら大惨事になっていたことが予想されます。
 
原発についてはいろいろな嘘や虚飾が少なくありません。是非とも原発は完全に廃止して欲しいと思います。また、原発の電力をあてにした電気の利用法、たとえばEV自動車のようなものにも疑いの目を向けるべきだと感じます。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。