□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(58)

(「冬」より)

冬の夜の皿も鳴らさず兄妹

季語は、「冬の夜(ふゆのよ)」で、三冬。

文字通り、冬の夜に皿も鳴らさない兄と妹なんだ、という訳ですが、これは単に冬の夜の寒さだけが理由ではないでしょう。兄と妹の間に何らか関係の亀裂があって、口もきかないどころか、皿さえ鳴らすことさえしないということでしょう。当初、仲が良かった二人がこうして冷たい関係になってしまったこと。これはかえって、波郷に揺るぎないパートナーを手にしたいという気持ちを強めたのではないかと推察します。

金色の階の嶮しや冬日閉づ

季語は、「冬日(ふゆひ)」で、三冬。

金色の階段とは、本当に金色をした階段なのか、それとも太陽に照らされて金色に輝く階段なのか。おそらくは、後者でしょう。そして、その階段が嶮しいなあと言い放って、下五で、「冬日閉づ」で締めています。つまりは、冬の日も落ちて、その階段も金色から赤く染まり、さらには暗闇へと変わってゆくのです。その一連の階段の変容がひとつの物語として語られているような見事な句だと思います。

買溜めて暮の女の肘光る

季語は、「年の暮(としのくれ)」の傍題、「暮(くれ)」で、仲冬。

「暮の女」とは、妻あき子さんのことでしょう。暮の準備で、いろいろなものを買い溜めをしているわけですが、そのあき子さんの肘が光っている、というのです。肘が見えるということは、冬であるにもかかわらず、腕まくりをして、買い溜めした荷を重そうに持って家事をしているのでしょう。その見とれるようなあき子さんの真剣な様子を「肘光る」の五文字で表している。これもまた見事です。

帰り来て駅より低き寒の町

季語は、「寒の内」の傍題、「寒(かん)」で、晩冬。

「帰り来て」というのですから、この「駅」は、住んでいる駒場アパートに近かった駒場駅であると思われます。その駒場駅を降りて改札を出ると、下り坂があって、アパートのある町はその下にあるのでしょう。その坂を降りながら家路を歩いて行くと、どんどん寒中の寒さを体に感じ始める。その底冷えの町にあって、波郷は暖かい我が家へと足を速めていくというわけです。


今日の四句は、とくに変わった内容のことを詠んだ句ではありません。どこにでもありそうな景をしっかりと十七文字にまとめて、なおかつきらりと光る言葉でその印象を深めています。波郷の才能がいかんなく発揮された四句だと思います。

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浜つゆの朝日のかをり夕べの灯  森器

花菜ゆで吾が頭蓋に碧き湖

うす塩の若布拉麺浅蜊だし


春の雨降り始めたる啓蟄の夕べに聴きしコール・ポーター

青き夜にブルー・ノートはふさはしい泣いて疲れて眠る大人も

ビギン・ザ・ビギン唄ふエラ・フィッツジェラルドの豊かな声に隠されし愛


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先日の三月三日の桃の節句。
私は、体調不良であったことは昨日書きましたが、
この桃の節句には、私には重要な義務がありました。
それは、妹が毎年楽しみにしている蛤つゆを作ってやることです。
たいてい三月三日には、スーパーでお手頃(安くはないですが)の蛤が販売されるので、
これはどうしても作らざるを得ないということなのです。

私の蛤の潮汁の作り方は、簡単です。鍋の底に蛤を並べて、まず蛤がひたひたになるほどの酒を入れて、落し蓋をして蛤を酒蒸しにします。蛤に熱が入って蛤の蓋が開いたら、蛤は取り出してしまって、そこに昆布だしをざっと注ぎ、温め、後は少量の醤油(できれば薄口醤油)と塩で味をお好みの味に調えます。そして、椀に入れた蛤にそのつゆを注いで出来上がりです。こうして作ると、蛤の身が小さくなることもなく、さらにはつゆの方も濁りが少なく美しくできます。蛤つゆには菜の花を入れるなり、三つ葉を入れるなり、飾ることもできますが、私は何も入れない蛤だけのつゆが好きです。

簡単なのですが、この作業を頭痛と腹痛を堪えながらしなければならなかったのは初めてでした。あとは菜の花をゆで、スーパーの散らし寿司を買って何とか雛料理らしきものを用意した次第です。

拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。