□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(54)

(「秋」より) 

  大東亜文学者会 二句
菊の香や誓をおらぶ斎藤劉
芸文や国力なす菊の前


斎藤瀏(さいとうりゅう)氏について、触れておきます。『風切』では「劉」の字を使っていますが、正しくは「氵」のついた「瀏」の字です。

斎藤瀏は、1879年(明治12年)4月16日生れ、1953年(明治28年)7月5日歿。日本の陸軍軍人、歌人。最終階級は陸軍少将。そしてその長女の斎藤史は同じく歌人です。

斎藤瀏氏、その重要な経歴は、

①まず日露戦争に従軍し、その時から短歌の道を志し、左左木信綱に師事し、歌誌「心の花」に所属したこと。
②次に、二・二六事件(1936)で、反乱軍を援助したとして禁固5年の刑となり、入獄したこと。
③1938年に出獄した後は、歌人として『短歌人』を創刊、主宰したこと。
④1942年に発表された「愛国百人一首」の選定委員の一人であり、また日本言論報国会理事となったこと。

二・二六事件の際には、長女の歌人故斎藤史さんが次のような歌を作ったことがよく知られています。

 昭和十一年二月廿六日、言あり。友等、父、その事に関る
春を断る白い弾道に飛び乗つて手など振つたがついにかへらぬ
濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
銃座崩れことをはりゆく物音も闇の奥がに探りて聞けり


  大東亜文学者会 二句
菊の香や誓をおらぶ斎藤劉


第一回の大東亜文学者大会で、波郷は斎藤瀏氏の宣誓を聞いたわけですが、「おらぶ」つまり泣きわめくような声で宣誓をしていたと詠んでいます。

菊の香の上五で、天皇への敬意を表現しており、斎藤瀏氏の宣誓にも波郷は納得したかもしれません。しかし、「おらぶ」という言葉は、その宣誓の過剰さを伝えています。

朝寒の市電兵馬と別れたり 波郷」の自解(『波郷百句』)をもう一度記載します。

昭和十五年、駒場から毎日市電で神田へ出かける途中、これは赤坂見附あたりの所見。すでに軍隊の行進は血腥い戦場とつながつて国民を威圧した。

同じような威圧感を斎藤瀏の宣誓にも感じたかもしれません。

波郷を庇うわけではないのですが、句集『風切』に露骨な戦意高揚の句は無いと言ってよいと思います。

土用波攘ちてしやまむ門出かな
白露やはや畏みて三宅坂

などといった句はあります。しかし、圧倒的に多いのは、庶民の生活とその環境(自然)を詠んだ句がほとんどです。

明るい勤労一家、風通しの良い隣組、緊密な夫婦愛、燃えたぎる国家愛、さらに神厳な忠君の心――さういふものは朝一杯の茶を飲みつゝ露草を眺め、一途の家路に天の川を仰ぐといふ平凡な事象の中に現はし得るのが俳句である。(石田波郷「此の刻に当りて」)

この波郷の俳句観は、必ずしも当時の当局が望んでいたものではないでしょう。当局はもっと直接的な表現を求めたはずです。

「時局社会が俳句に要求するものを高々と表出すること」と風切会の綱領にはありますが、実は、波郷と当局が求めているものには、微妙なずれがあっただろうと私は考えています。

このことは、次の句、

芸文や国力なす菊の前

の解釈、鑑賞にも反映されるべきと考えますが、それは明日のブログに掲載します。

。。。。。。。。。。

北西の風音強し浅蜊飯  森器

重箱にきつちり詰めし浅蜊飯

一粒を一粒ごとに浅蜊かな

ざくざくと啜るが楽し浅蜊汁

顳顬のきりりと動く浅蜊汁


見慣れたる車窓なれども春らしき光そそぎて襟元暑し

まだ残る春の北風受けながら書肆のドア押すこころ豊かに

疲れたるからだが欲すハンバーガー野猫のごとく貪りにけり



。。。。。。。。。。

石田波郷の次の句は紹介済みですが、あるブロガーの方からご意見を頂戴しました。

膝がしら旅もどり来ぬ夜の菊  石田波郷「風切」

この句は難解だと私は申し上げました。一読、三段切れに見えるからです。そして一応、この「膝がしら」は、妻あき子さんのものではないか? と解しておきました。

これに対して、コメント欄に意見を下さったブロガーさんは、この「膝がしら」は波郷の換喩、つまり波郷自身である旨を指摘されました。「膝がしら」で、旅の疲れと余韻を看取することができ、奥さんの存在感は「夜の菊」で十分だということでした。

確かに、膝がしらを主語とした方が、読み方は自然です。

さらに、膝がしらや膝には旅という意味を含んでいると言えなくもありません。

例えば、「膝頭で江戸へ行く」という言葉があります。苦労するわりに効果のないことのたとえに使います。

「膝栗毛」という言葉もあります。十反舎一九の「東海道中膝栗毛」の「膝栗毛」です。膝を栗毛の馬に代用するという意味から徒歩で旅行することを言います。

しかし、何となくですが、「膝がしら」を波郷だとすると、「夜の菊」が唐突に私には感じられるのです。

膝がしらをあき子さんのものとすれば、景ははっきりします。しかし、その場合、句は三段切れとなって、言葉の並び方は不自然です。

ただ、こんな波郷の代表句があります。

たばしるや鵙叫喚す胸形変  石田波郷「惜命」

この句も三段切れのように見えます。下五まで読んで、もう一度上五を読むと「たばしる」のは胸の肋骨であることが分かるのです。

「発句のことは行て帰る心の味はひなり」の教えに従って、何度となく読むと景が見えてくる場合があるということでしょうか。

基本に忠実に読むのなら、膝がしらは、波郷の換喩であり、波郷自身であると解した方がよいでしょう。その場合、「夜の菊」は、あき子さんではなく実際の菊と解しておくほうが無難です。

旅に疲れた私の膝頭が、
旅から戻ってきた。
夜の菊が私を迎えた。

くらいの句意となります。どちらが良いかは、読者のご判断にお任せしたいと思います。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。