す□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(52)

(「秋」より)

雨そゝぎつゝ鵙来たり貝割菜

季語は、「間引菜(まびきな)」の傍題、「貝割菜(かいわりな)」で、仲秋。
「鵙(もず)」も季語で、三秋。

大根や蕪、菜類は秋の初めに種を蒔きますが、間もなく密生するので、貝割菜が開いてからは一週間から10日ごとに間引いて、最後に一本を残します。その間引く作業をしているときに、秋の雨がぱらぱらと降り始めるとともに鵙が飛んできて鳴いた。それを「雨そゝぎつゝ鵙来たり」と言って、まるで雨を鵙が運んできたかのように詠んでいるところが面白いところでしょう。いよいよ秋らしくなってきたなあ、という波郷の呟きが聞こえてくるかのようです。

間引菜も味噌汁の具や和え物にしていただきます。まして当時は貴重な食材だったはずです。

顔出せば鵙迸る野分かな

季語は、「野分(のわき)」で、仲秋。
「鵙(もず)」も季語で、三秋。

『波郷百句』に自解があります。

野分は籠居の作者の心中にも吹付けてくる。顔出せば鵙迸る――山本健吉氏の言ふ諧謔味がなくもない。

台風の風が吹いている。その暴風の様子を無謀にも窓を開けて覗いてみたら、鵙が風に吹き飛ばされるように飛んでいた。山本健吉氏はそれを諧謔味ととり、波郷もそうだと言っているようです。暴風に流される鵙を見て、かえって爽快な気分になったのではないでしょうか。

先日紹介した「硝子戸や野分の野路を見にゆかむ」を台風一過のあとの気分と私は解しました。しかし、案外、台風の最中でも外に出てゆこうくらいの気持ちがこの時波郷にあったかもしれないと本句を読み直した後に思いました。

膝がしら旅もどり来ぬ夜の菊

季語は、「菊(きく)」で、三秋。

ちょっと難解な句だと思います。三段切れにも見えます。

まず「旅もどり来ぬ」の主語がよく分かりませんが、これはおそらく波郷でしょう。
次に「膝がしら」が誰の膝がしらか分かりません。「膝がしら」が「旅もどり来ぬ」なのか、「膝がしら」に「旅もどり来ぬ」なのか?
ただ、季語が「夜の菊」ですから、これはもしかすると妻あき子さんの「膝がしら」なのかもしれません。一応そう解釈しておきたいと思います。だとするとそれ以上の説明はいらないでしょう。

槙の空秋押移りゐたりけり

季語は、「秋(あき)」で、三秋。

『波郷百句』の自解。

一二本の槙あるのみ。然もきりきりと自然の大転換を現じてみせようとした。一枚の板金のやうな叙法。

季語は、「秋(あき)」としましたが、「押移り」という言い方には、秋の終りの気配を感じさせます。槙の空を青空ととってもいいのですが、私は夕空ととり、秋の夕暮の様子を映し出していると解したいと思います。くすんだ常緑樹(槙)に相応しいのは、夕暮の静寂ではないでしょうか?
いわゆる三夕の歌の一つに、

さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮  寂蓮

という有名な歌があります。私はどうしてもこの歌の趣をこの句と重ねてしまいます。果してこの私の鑑賞が、「きりきりと自然の大転換を現じてみせようとした」という波郷の自解と合うかどうかが問題ですが、晩秋の景としてはやはり夕空がいいと私は思います。


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春の雪待つて潤す喉の奥  森器

剪定の切口風を待ちゐたり

白梅や小雨の中を猫の髭

春寒の雨の大気と交らず

いまだ手を火にかざしたる春の夕


甘夏を二つに割りて分かち合ふ失ひしものあへて語らず

いくさ場の増えてゆくのを悲しみて何もつけない食パンを食む

あかんなと関西弁を呟けば関東の雨さらに冷たし


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昨日、関東地方には雪の予報が出ていたのですが、冷たい雨が降るばかりでとうとう雪を見ることはできませんでした。

私のブログですが、またしばらくお休みをいただき、次は2月28日(水)の朝、投稿の予定と致します。この日に紹介する句は、とても重要な句と思われますので、丁寧にご紹介したいと考えております。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。