□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(51)
(「秋」より)
名月や門の欅も武蔵ぶり
季語は、「名月(めいげつ)」で、仲秋。
『波郷百句』に波郷の自解があります。
十七年仲秋。吟甚だしく古典的である。「文学派」俳人の忌諱に触れた。
「武蔵ぶり」とは、おそらく俳諧撰集「武蔵曲(ぶり)」のこと。大原千春編。1682年刊。書名は、「流石にをかし桜折る下女の武蔵ぶり」により、江戸の新しい排風の意味。本書は、天和調を知る上で重要。また芭蕉の排風の影響もあるそうです。
仲秋の名月が輝いている夜に見る、あの門の欅も江戸時代のあの芭蕉の頃の雰囲気を持っている、という明解な意味ではないでしょうか。
この句が「文学派」俳人の批判にあったということなのですが、古典の研究に興味を持ち始めた波郷にとっては、別段、奇異な句ではなかったでしょう。
m音の響きが印象的な『風切』の代表句のひとつでしょう。
東京に麦飯うまし秋の風
季語は、「秋の風(あきのかぜ)」で、三秋。
「東京に住んで、白いご飯でなく、麦飯がうまいと感じるようになった。秋風が吹いてはいるが、」くらいの意味でしょう。贅沢は言うまい、今の生活に十分満ち足りているといいながら、ややもの悲しさも感じさせる季語を下五に置いて、作者の微妙な心持ちを表現した句。
十月や顳顬さやに秋刀魚食ふ
季語は、「十月(じふぐわつ)」で、晩秋。
「秋刀魚(さんま)」も季語で、やはり晩秋。
「さや」は「明」あるいは「清」で、「冴ゆ」と同源。はっきりしたさま。さっぱりしたさまを表します。
『波郷百句』による自解があります。
旧作の「隣人の顳顬憂しや秋刀魚食ふ」の思はせぶりが無く、爽快の季節の味が出てゐると思ふ。前年「松籟や秋刀魚の味も了りけり」の別趣の味を有する。
つまり、波郷の自信作のひとつであるということです。
晩秋の十月になったなあ。
顳顬をはっきりとその味を感じつつ
秋刀魚を食べたのだ。
くらいの句意でしょうか。「さやに」の言葉が、「爽快の季節の味」を引き立てているといった感じです。
一高へ径の傾く芋嵐
季語は、「黍嵐(きびあらし)」の傍題、「芋嵐」で、仲秋。
「芋嵐」とは、里芋や八頭などの葉が揺れて裏返ったり、裂けたりするその強い風のこと。
『波郷百句』に自解があります。
十七年秋朝食前の散歩。駒場から一高を廻つてくる。小川を渡つて緩かな傾斜の径を辿ると一高に出る。「芋嵐」は青畝の句により十数年前から用ひてゐた。
句意は、この自解の前半部分で尽きていると思われます。問題は、阿波野青畝の芋嵐の句のことですが、阿波野青畝は、「芋嵐」で、いくつも句を作っており、どの句が波郷のお気に入りの句であったかは不明です。ネットにより、阿波野青畝の「芋嵐」の句を拾ってみると、
さきほどと変わりなき富士芋嵐 阿波野青畝
しんじつにみな静まりぬ芋嵐
やぶること絶対なしの芋嵐
大山にゆさぶりをかけ芋嵐
案山子翁あち見こち見や芋嵐
芋嵐天狗風とはならざりし
豆の海の面かがやきぬ芋嵐
といろいろあります。
本句では、一高の学生の雰囲気が「芋嵐」の風を感じさせるとの意味が込められているのではないでしょうか。
。。。。。。。。。。
蛍烏賊酢味噌まとはせ白皿に 森器
蛍烏賊食めばほのかに墨の味
こりと嚙む目玉も味と蛍烏賊
蛍烏賊食み黒潮の音を聴く
わが肺の今夜輝く蛍烏賊
春寒き小雨の中に猫の目とわが目が合へばかなしみ深し
宇宙など狭きテラスと思ひたしわが本能は光速を超え
もう一度天動説をとりもどし夜空を駆くる猫になりたし
。。。。。。。。。。
とうとう日経平均は、バブルにつけた最高値を超えたようですね。
株のことは分かりませんが、何かやっと壁を越えた気がします。
もっと早くこの壁を越えていてもおかしくなかったのになあ、という気持ちもあります。
日本経済が良いということはいいことですが、中国経済に対する不安と第三次世界大戦を思わせるような世界情勢を考えると、そう素直に喜んではいられないでしょう。
物価も高騰しており、庶民の生活は苦しく、いずれ消費者の財布の紐は固くなるに違いありません。このまま株だけが上がり続けるということは無いような気もするのですが、まあこれは私のような素人の考えかもしれません。
日本経済が好調を維持するためにも、国際平和は欠かせない要素でしょう。とにかく、ウクライナであれ、ガザであれ、一刻も早く解決することを切に願っています。戦争によって得る利権に目を眩ませるのなどもってのほかで(たいてい利権獲得に失敗しますが)、人命あってこその経済を大切にすべきだと心から思います。
拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。