□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(50)

(「秋」より)

妻が歌芙蓉の朝の水仕かな

季語は、「芙蓉(ふよう)」で、初秋。

「水仕」は「みづし」と読みます。文字通り水仕事のこと。

芙蓉は、朝咲いて、夕方にはしぼんで落花してしまう花。

「歌」は、短歌ともとれなくはないですが、ここは歌を唄っているととりたいところ。妻あき子さんが歌を唄いながら朝の水仕事をしている。気がつけば、芙蓉の花が咲いている。清々しい初秋の朝のキッチンの風景が目に浮かびます。

硝子戸や野分の野路を見に行かむ

季語は、「野分(のわき)」で、仲秋。

台風一過。硝子戸を覗くと青い空が見える。そう、こうしてはいられない。野分の野路を見に行かなくては、という心持ち。台風が吹いている間、じっとしていたからだを動かしたい、台風一過の青空の下で、解放感を味わいたいという気持ちは誰しも持っているものです。俳人ならなおさらのこと。

秋の夜の尺も鋏も更けにけり

季語は、「秋の夜(あきのよ)」で、三秋。

おそらくは夕食後から、妻あき子さんが夫波郷のために着物を仕立てようとしているのでしょう。その仕事ぶりを見て波郷は飽きることはなかったに違いありません。ただ、秋の夜長とはいえ、なかなかその仕事は終わらない。それを案ずる気持ちが、「尺も鋏も更けにけり」の措辞で表現されています。

妻籠に蓑虫の音をきく日かな

季語は、「蓑虫(みのむし)」ないし、その傍題「蓑虫鳴く」で、三秋。

妻あき子さんは、籠に何を入れていたのかは分かりません。秋の果実でしょうか。その果実についた枝か葉に蓑虫がついていて、思わず妻あき子さんが「蓑虫がいるわ」と声を発したのでしょう。波郷にとっては、その声そのものが蓑虫の鳴く声に聞こえたのかもしれません。さりげない出来事の中に、小さな喜びを見出した一瞬と言えると思います。


戦時下の厳しい状況の中で、定職も持たぬ主を持つ石田家の生活が厳しくないわけがないのですが、今日の四句で俳人として生きる波郷の眼が捉えているものは、戦時であることを忘れてしまっているかのような景であり出来事です。詩人の本来の役割とは、どんな状況下にあっても同じ視線を持ち続ける強い力ではないかと思わされました。


。。。。。。。。。。。

雨降ると悲しき声す寒返る  森器

冴返る冷めし紅茶を一息に

冴返るブロック塀の罅に雨

憂ひつつ書を繙けば冴返る

傷みたる財布握りし寒返り

もも串の串の折られて冴えかへる

梅の花雨にうたれて青みけり


寒暖のあまりに激しきのふけふ雨に打たれて梅ひらけども

小刻みに震へるからだおさへたり艶を増したる椿を見つつ

ダイインの映像いまも胸を打つ怒りをこえて美しくあれ


。。。。。。。。。。

二月の夏日に驚いていたら、気温は急降下、まさに寒が戻ったような昨日。
せっかく開いた我が家の梅も冷たい雨に濡れて寒々しい感じ。
今日も、関東地方は、最高気温が10℃を超えない寒い日となる模様。

私の頭痛も再発しかけていて、温かい飲み物が欠かせなくなりました。

早く「春の雨」や「春の月」で、俳句を作りたい。それにはもう少し暖かくならないと。
ああ、桜の季節が待ち遠しい。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。