□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(43)

(「秋」より)

  九月五日 二句
椎や竹雨の古郷忌はなやかに


季語は、「古郷忌(こきようき)」ということになるでしょう。

波郷の師、五十崎古郷が亡くなったのは、1935年(昭和10年)9月5日。

「椎」は、これで「しひのき」と読むのでしょう。「竹雨」は文字通り、竹に降る雨。

椎の木があるなあ。
竹に雨が降る古郷忌は
はなやかに過ぎてゆく

と、ちょっと私には理解しがたい句です。椎の木と竹の雨との関係がよく分かりません。五十崎古郷に竹雨に関する有名句でもあれば、と探したのですが、検索した限りでは見つけられませんでした(あるかもしれません)。

朝顔や病も知らずわが齢

季語は、「朝顔(あさがほ)」で、初秋。

朝顔が咲いているなあ。
師、五十崎古郷は、肺を病んで39歳の若さでなくなったが、
私は病も知らずに30の齢に届こうとしている。

いつの古郷忌なのか定かではありません。波郷が左肺門リンパ腺炎を発症したのは、1943年(昭和18年)の5月で、30歳。それまでは、「病も知らず」であって、自らの健康には自信があったに違いありません。

瑞々しい朝顔の花を見ながら、自らの健康を喜ぶとともに、恩師五十崎古郷の在りし日の姿を思い浮かべたのだろうと推察します。

鵙鳴いて柿の木を見ず駒場町

季語は、「鵙(もず)」で、三秋。

故郷松山にいたときと同じように鵙がないていて、
故郷松山にあれほどあった柿の木がない。
この東京の駒場町というところは。

という句意。

鵙のあと雀は椎をこぼれ出づ

季語は、「鵙(もず)」で、三秋。

鵙が椎の木を飛び立ったあと、
雀がこぼれおちるように降りて出てきたよ。

鵙の昼深大寺蕎麦なかりけり

季語は、「鵙(もず)」で、三秋。

鵙が鳴いている昼。
深大寺蕎麦はもう売りきれていたのだったなあ。

波郷の「鵙」という鳥へのこだわりが見られます。「たばしるや鵙叫喚す胸形変(きようぎやうへん)」(『惜命』)の句がやはり頭を過ります。20代には、親しみをこめて詠みこんだ鵙が、戦後、「たばしるや・・・」のような波郷の代表句を生みだすことになろうとは、当時の波郷には予想もつかなかったことでしょう。

深大寺は、東京都調布市にある開創1300年を迎える古刹。近隣の店が提供する深大寺そばも有名。波郷の墓はこの深大寺にあります。


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日の出づる屋根に鳥影春の朝  森器

ビスケットもろくも崩れ春あした

春朝や徹夜のジャズのはなやかに

春の朝わが網膜に青き森

春の朝ひかりの中を抜けてゆく


春の川に群より離れゆく鴨の眸の中にわが影のあり

浮雲に思ひ馳せれば青き湖に鳰の浮かびし昔なつかし

ひつそりと消えてゆきたる雪兎案じてみてもむなしきことか


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すごく真面目な話を真剣に読んだ後、最後に笑いのオチを読まされるというのはどうしても私には理解できないところがあります。これをユーモアと言ってよいものかどうか? 笑いが好きなら、徹底して最初から笑いに徹するべきじゃないかと思います。幸い私のブログをずっと読み続けている方にはそういう人はいらっしゃらないので安心しています。

もちろん真面目に話せば話すほど笑ってしまう話というのはあります。これは、笑いの理想形かもしれません。なかなかお目にかかれませんが。

さらに、人から笑われている間は、まずまず幸福だと言えます。逆に笑っている人が幸福だとは限りません。「笑う門には福来る」ということわざがありますが、私は懐疑的です。

お釈迦様は笑っていらっしゃいますが、お釈迦様は幸福だから笑っているのではなく、人々を幸福にするために笑ってらっしゃるのだろうと思ったりします。実際はどうなんでしょうか? 偉いお坊さんにでも訊いてみたいものです。

2月11、12日はお休みします。ご了承下さい。

拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。