□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(41)

(「秋」より)

  石川桂郎に
菊の香やぎくりと懸かる河童図


季語は、「菊(きく)」で、三秋。

「河童図」は、「かっぱづ」ではなく、「かはっぱづ」と読むのでしょう。

菊の香がするなあ、
(と思っていたら)
不意をつかれるように
河童図が懸かっていた。

という句意。菊の香と河童図の取り合せが面白いわけですが、現実の景でしょう。波郷の弟子、石川桂郎の人柄を感じさせる句。

理髪師に夜寒の椅子が空いてゐる  石川桂郎
昼蛙どの畦のどこ曲らうか
左義長や婆が跨ぎて火の終
塗椀に割って重しよ寒卵
裏がへる亀思ふべし鳴けるなり


  石塚友二長崎行
鷄頭やいづくをゆくも旅の袖


季語は、「鷄頭(鶏頭、けいとう)」で、三秋。

「旅の袖」といふ言葉から連想するのは、新古今和歌集にある藤原定家の次の羈旅歌あたりでしょうか。

旅人の袖ふきかへす秋風に夕日さびしき山の梯

万葉集の志貴皇子の歌「采女の袖ふきかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く」を踏まえた歌と言われています。

定家の歌の意味は、「旅人の袖を吹き返している秋風の中で、夕日が寂しく射している山の架け橋よ」で、旅人は故郷を思いつつ寂しく今も旅を続けているのだろうという旅人への思いが詠まれているのだろうと思います。

したがって、本句は、

鶏頭の花が咲いているなあ、
石塚友二は長崎への旅に出たのだが、
今どのあたりを旅しているのだろう。
旅人の袖を吹き返す秋風の中で
夕日を浴びながら故郷を思っていることだろうよ

くらいの意味かと思われます。

木葉髪旅より戻り来りけり

季語は、「木の葉髪」で初冬。

木葉髪とは、「十月(陰暦)の木葉髪」ともいい、この季節に髪が抜け落ちることを言います。初冬のわびしさ、人生の哀愁を示唆する季語。

髪が抜け落ちる初冬に
石塚友二は旅から戻って来たのだったなあ

百方に借りあるごとし秋の暮  石塚友二
岐れ路や虚実かたみに冬帽子  
今生の今日の花とぞ仰ぐなる
遠き寒林一眼はきと写しをり
段丘の断崖のその冬の竹
百姓に泣けとばかりや旱梅雨
らあめんのひとひら肉の冬しんしん



波郷の弟子で、「鶴」で重要な役割を果たした二人を読んだ句。
石川桂郎と石塚友二、いずれも私小説風の作風の俳句を読み、
どちらも小説を書いたという点で共通点があります。
今日の三句を読めば、波郷がこの弟子二人を大切にしていたことが伺われます。

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門を出てまつすぐ土手へ春浅し  森器

異郷にて鴉二羽飛び浅き春

水面に鉄塔の影春浅し

浅春やすでに畑に黄の蕾

青空に何も溶かさず春淡し

公園の砂場埋められ浅き春

握り飯前籠にあり春浅し

春浅くアールグレイの香り揺れ

北に雲放ちたる神春浅し

春淡し病癒えたる夢の中


繰り延べし父との面会終えてよりわれの向かふは早春の川

繰り返す怒りしづかに鎮めをり春雪溶けて快晴の空

繰り言を仕舞ふがごとくポケットに手を入れにけり軽き扉(と)の前



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雪が降ったのが月曜日。

昨日はもう関東の青空が戻ってきて、

空の青みがあまりに眩しく、

白い鉄塔がどこか痛々しい。

 

父との面会。父には、「無理に面会に来るな」、と言われていますが、路肩に雪が残る道を父のいるケアセンターまで自転車で急ぎました。自転車なら10分もかからない距離。

 

父は案外元気で、たぶん私よりも調子がいいのではないかと思うくらい。

リハビリも順調のようで、もしこのまま何もなければ、四月には家に戻ってくるのではないだろうか、と期待させてくれます。

 

ただ、私の入院と手術があるかもしれないので、父が家にいた方がよいのか? それともケアセンターにいた方がよいのか? ちょっとそれが難問(前にも書きました)。妹ひとりでは、父の介護はままならないとも思っています。父にもそれがよく分かっているのです。

 

30分間の面会時間と耳の遠い父。この条件のなかで、必要な情報を交換し、私としては有意義な時間を過ごしました。

 

ケアセンターを出て、ちょっと寄り道し、近くの川を見に行きました。途中にある畑で、もう菜の花の蕾が開きかけているのに気がつきました。早いです。土手につくと、鴨の歓待を受けました。そして、しばらく自転車を降り、土手沿いの風景を眺めたのです。やはりどこか春の気配が感じられ、十分に満足して私は家に帰りました。

 

 

拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。