□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(40)

(「秋」より)

柿食ふや松山人の顔黙り

季語は、「柿(かき)」で、晩秋。

まずは、「波郷百句」による波郷の自解。

柿は松山だけの特産ではないが、作者には切放して考へられぬ程。「百舌鳴いて柿の木は無し駒場町」にもその消息が詠まれてゐる。外柔内剛の松山人を詠んでみた。

松山と言えば、正岡子規であり、子規と言えば「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」ですが、どうやらこの句とは直接関係はないようです。柿は松山の特産ではないけれど、松山のあちらこちらに柿の木があったのでしょう。

「外柔内剛」、つまり外見はものやわらかだが心の中はしっかりしていることという意味で、波郷は松山の人をそう形容したわけです。おそらく、波郷が帰郷した際、松山の親戚か知人の家を訪ね、そこで柿の実の接待を受けたのでしょう。「外柔」とは、その接待のものやわらかさを言っているに違いありません。

しかし、下五の「顔黙り」は、どう解釈したらよいのでしょうか? 単純に松山の人の朴訥さと解していいのでしょうか? 波郷に言わせれば、「顔黙り」は、松山の人の「内剛」、心の中はしっかりしていることを意味するのですが、心の中がしっかりしていることの内容が問題です。

私は、「顔黙り」の意味は、訪れた先の家人の波郷に対する警戒心の現れだと思いますがどうでしょうか? 俳人という職業に対する警戒といってもよいかもしれません。もちろん、松山は正岡子規を輩出した地ですから、俳人に対する理解はあったでしょうが、「京大俳句事件」以後、俳人が当局に拘束されたことは松山の人の耳にも入っていたでしょう。その意味での「顔黙り」ではないのか? それを波郷は「内剛」と称したのではないか? 

訪れた先で、柿を食ったのだなあ
松山の人の黙ったままだったけど

法師蟬朝より飢のいきいきと

季語は、「法師蟬(ほふしぜみ)」で、初秋。

朝、つくつくぼうしが盛んに鳴いている。
あの激しく啼いている蟬のように、
朝の私はいきいきと腹を空かしている

という句意でしょう。

いつ詠まれた句なのか明確ではありません。しかし、時局が厳しくなって食料の供給も思うようにならなくなり始めた頃なのかもしれません。

ただ、そうした状況の中でもまだ明るく健康な心身を持っていることを誇りに思っていたのでしょう。波郷に「さあ、やってやるぞ」という力が朝から漲っていたということが伝わります。暑気中りで苦しむ夏が終わったのです。あの法師蟬のように力強く啼いてみせようというわけです。

芋の露父より母のすこやかに

季語は、「露(つゆ)」の傍題、「芋の露」で、三秋。

「芋の露」というと、飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」の句が思い浮かびますが、本句は同じ「芋の露」でも随分と趣の違った句です。

「父より母のすこやかに」とは、随分思い切ったことを言ったものです。この措辞から、何となく波郷と波郷の家族との関係が透けてみえてくる気が致します。

波郷が母をたいへん大事に思っていたことは、波郷が各句集の中で母への思いを句にしていたことで分かります。これは、波郷のお母さまが、波郷が俳人として活躍することについての良き理解者であったことが一番の理由であると思われます。

これに対し、父に対する句はほとんどありません。この極端さを慮ると、おそらく波郷の父は、波郷が俳人という職業を続けていることをあまり快く思っていなかったのではないか? と思ってしまうのですが、どうでしょうか? 父としては、波郷に家業の農業を継いでもらいたかったのかもしれません。そうした父の波郷の仕事に対する無理解がこの句の意味するところではないでしょうか? あくまで推測に過ぎませんが。

「芋の露」は、これは波郷を思う母の涙を象徴させるために用いられた季語だと私は思っています。

芋の露が美しく輝いている。
父より母がすこやかにあって欲しいものだ。


波郷が、母ユウさんの句を多く作っているのに、父惣五郎のことはほとんど句にしていません。この辺りの詳しい事情は知りたいところでもあります。

  卒然家郷を失ふ
椎も古りぬわれら兄妹東京に 石田波郷『風切』(「夏」の章)


という句を以前紹介しました。きっとこの句に松山の石田家の事情が隠されているとは思うのです。


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早春や平均律に身をゆだね  森器

早春のサドルの砂を払ひけり

早春の轍の水に濡れにけり

春さきの粥のかをりの熱きかな

日本地図わづかに撓む春早し

仏蘭西へ逃げてゆきたし春早し

背の高き門番眺め春早し

あるはずのナイフのあらず春早し

春早しラヂオのノイズあるがまま

早春の空に土鳩の叙事詩かな


松の木に残る雪さへわづかなり関東の雪消ゆるも早し

春の雪溶けて街路の水びたしわがこころにも雫の和音

電線の目白は春雪見つめゐてもうはやばやと恋語るらむ



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昨日の波郷句に誤記入がありました。申し訳ありません。

(誤) 霧の夜々幾日黙す兄妹

(正) 霧の夜々幾日黙す兄妹

「ぞ」は基本的に強調を表す助詞。この句の場合、強い断定を表すと思われます。直接、訳しにくいのですがあえて解釈すると、

霧の夜を重ねて
幾日も黙り合っている
兄妹なんだぞ

くらいの意味となります。訂正致します。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。