厳しくもやさしき風の二月かな  森器

二月来て両手木肌をそろと触る

銀行のドアへ二月の光かな

電卓を叩く二月の食卓に

意のままに西京焼の二月かな



平凡な生活大事と思ひたし通帳記入の音聴きつつも

診療費の領収書にて一年に重ねし独語思ひ出しけり

新しき電卓買つて足し算に引き算かさね人生を問ふ



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先日、父が俳句結社から退会したいというので、私が代理で、担当の方に退会の申し出と俳誌の送付停止を申し出ました。非常に残念なことですが、ケアセンターの中の施設内を車椅子で移動するだけの生活では、俳句は難しかったかもしれません。

父は、ケアセンターで、いくぶんか元気を取り戻しておりますが、大変高齢ですのでいつ何時何があっても不思議ではありません。私も覚悟を決めておりますが、ちょっと気がかりなのが、私が万が一入院となったときに父の方にも何かあった場合どうなるのかということです。このタイミングについては、神頼みといった感じです。

父は退職後俳句を始めましたが、もともと書を書いたり、絵を描いたりすることの好きな人でしたから、すぐに俳句が上手になりました。しっかり通信教育の俳句講座で勉強し、結社にも入り、吟行や旅を重ねながらたくさんの句を作りました。NHK俳句でも入選したり、他にもいくつか賞をいただいて、家に賞品の鮑が送られてきたりもしました。

その意味では、私の独学とはまったく正反対の王道を歩んだと言えます。

その父が、私に俳句の指導をすることはまったくありませんでしたが、二つだけ注意してくれたことがあります。

一つは、俳句の切れ、切字を大切にすべきだということで、この忠告は石田波郷の切字の問題を考えるきっかけともなっています。

もう一つは、俳句をするなら、日本の歴史についてしっかり知識を積む必要がある、ということでした。私は高校時代世界史を選択したこともあって、どうしても日本史の知識が甘い、そのことを指摘してのことで、これは耳の痛いことでした。しかし、最近その意味の重要性を痛感しているところです。

とにかく父が俳句をやめたことは残念ですし、私が俳句を続けるモチベーションもいくぶんか弱くなってしまっていることに気づいているこの頃です。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。