□ 石田波郷第二句集『風切』Ⅱ(37)

(「夏」より)

  同、仁科川に関野玲翠氏と遊ぶ
鮎打つや天城に近くなりにけり


季語は、「鮎(あゆ)」で、三夏。

24日の続きで、波郷が伊豆の仁科村に旅行に行ったときの句。

関野玲翠氏がどんな方なのか分かりません。

「鮎打つ」ですから、投網を投げたのではないでしょうか。

仁科川で関野玲翠氏と鮎に網を投げて遊んだのだったなあ。
天城峠が近くなったのだったなあ。

有名な天城峠ですが、古来あった峠ではなく1904年(明治37年)に完成した天城トンネルによって出来た峠だそうです。天城トンネルは川端康成の『伊豆の踊子』(1926年初出)の舞台ともなっていますから、当時も有名だったに違いありません。鮎を追っているうちに天城峠の近くまで来た波郷が、この川端作品を思い出したとしても不自然ではないでしょう。

  同、偶々応召の梅原葉月君に
土用波攘ちてしやまむ門出かな


季語は、「土用波(どようなみ)」で、晩夏。

この一句は重要な一句です。意味を探ります。

まず、「同」とありますので、この句も仁科村での旅において詠んだ句ですが、「偶々(たまたま)応召の梅原葉月君に」という前書があります。梅原葉月氏がどんな人なのかこれも不明ですが、いずれにしろ近々出征をする予定になっている人であることが分かります。

「土用波」は、南方洋上に大きな台風が発生したとき太平洋沿岸に寄せてくる高波をいいます。

この土用波を「攘(う)ちてしやまむ」というのですから、追い払って止ませよう、という意味なわけです。「攘」は、「尊王攘夷」の「攘」ですね。

「門出」は、むろん出征のことを言っています。

つまり、この「土用波」とは、敵であるアメリカの事を指していると解釈するのが自然です。

まとめると、

偶々(たまたま)応召の梅原葉月君のために仁科村で詠んだ句。
土用波のような大敵アメリカを追い払いお終いにしようと願った
そんな門出なんだなあ。

という意味になると思われます。

本句を、皇国俳句と捉えるむきもあります。確かに、一読、戦争を肯定する内容といっても良いかもしれません。しかし、こうした句は当時盛んに作られていたのではないでしょうか。出征をする兵士の方から句を詠んでくれと頼まれれば、こういう威勢のよい句を作らざるを得ないでしょう。

しかし、仮に梅原葉月氏に対する挨拶句が必要だったとしても、その句を句集に掲載した以上は、皇国俳句と揶揄されても仕方がないことです。私は、この句は掲載すべきでなかったと思っていますが、その判断は当時は難しかったはずです。

  軽井沢にて
雨蛙鶴溜駅降りだすか


季語は、「雨蛙(あまがへる)」で、三夏。

波郷は、昭和17年8月、軽井沢にも足を運んでいます。

「鶴溜駅」は、かつて草津軽便鉄道(1962年2月1日廃線)にあった停車駅。現在は跡地は別荘地内にあるとのこと。

雨蛙が鳴いているなあ。
軽井沢の鶴溜駅では、雨が降り出すのだろうか

ということです。鶴溜駅に着いて、早速雨蛙が鳴いているのに気がついた作者が、思わず空を見上げます。そして、いよいよ雨が降り出すのか? と思わず呟いたというわけです。もしかすると傘がないのかもしれません。その雨を心配する気持ちの裏で、一雨を望む気持ちも隠れていそうです。「雨蛙」と「鶴溜」の文字の並びも面白い句です。


昭和17年8月、波郷はあちこちに旅に出て、句を作ったわけです。
暑気中りに苦しんでいたはずの波郷が、この強行スケジュールで旅に出たのは、やはり、俳句を作るには旅でなければならないという強い気持ちがあったからです。

「土用波攘ちてしやまむ門出かな」の句を問題視しましたが、今後類似の問題句がいくつか出てきます。

波郷は「風切会」の綱領の中で、

一、俳句の韻文精神の徹底
一、豊穣なる自然と剛直なる生活表現
一、時局社会が俳句に要求するものを高々と表出すること

をあげていますが、この八月の旅行は、この三点を実現するために行われたものであると言えるでしょう。
そして、以前にも問題にしたように、「時局社会が俳句に要求するものを高々と表出すること」のひとつとして、「土用波攘ちてしやまむ門出かな」の句が作られ発表されたととるのは自然な捉え方でしょう。

けっきょく、戦時の言論統制下では、こういう句を作らざるを得ないわけですが、沈黙して何も詠まないことも可能だったはずです。

この点については、また後出する俳句の中でさらに詳しく述べたいと思います。俳句と戦争責任という重い課題にもなりますが、当時の日本の芸術全般にある問題でもあります。

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寒風や制服の子ら声もなし  森器

銀輪の大地に倒れ虎落笛

北颪猫の日向をうつりゆく

また細る父の足首からつ風

寒晴やかなしみもなく泪出づ


手羽元と大根を煮て満たされし土曜の夕餉土曜の夕日

辞書ほどのスピーカーより流れくるスチールギターの調べかぐはし

かはゆしにいたはしといふ意味ありて日本人とはあはれなるかも


。。。。。。。。。。

24日の夕方、最近頻発していた頭痛がひどくなり、ちょっと耐えられないな(活字が頭に入らなくなりました)と思い、急遽お休みをいただきました。

気安く鎮痛剤を飲むことができないので、ひたすら休養をと思いましたが、そういうときに限っていろいろと用事があり、なかなか大変でした。しかし、休養の結果、血圧も下がり、頭痛も収まったので、今日ブログをアップしました。

ご心配をしていただいた方々には大変申し訳なく思いますとともに、心から感謝申し上げます。

今後のことは、29日(月)の検査結果と医師の診断に委ねたいと思います。

今日のブログは、25日(木)に投稿しようとしていた記事に昨日(27日(土))作った俳句と短歌を合せて掲載させてもらいました。

なお、私の体調不良とは直接関係ないのですが、今まで投稿してきた記事の全削除をしました。理由は、AI時代にブログに長期間記事を残すことの危うさを直感したためで、それ以上の意味はありません。

この先は、記事を残さず短期間で削除していこうと考えています。その際、せっかくのコメントも消すことにもなりますが、どうかお許し願いたいと存じます。

また、石田波郷『風切』を頭から丁寧に読んでまいりましたが、体調不良のためその継続は困難になりつつあると思っています。今日で、「夏」の章まで、読み終わりました。ただ、「秋」の章以後は、重要な俳句を抜粋して読み、早く問題の核心に触れておきたいと考えております。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。