東大教授への軌跡~世界的な物理学者へ~【仮面浪人からの東大合格】 -7ページ目

東大教授への軌跡~世界的な物理学者へ~【仮面浪人からの東大合格】

研究者を目指す東大院博士2年のブログ。首都大学東京理工学系物理学コースで仮面浪人し、2011年4月東京大学理科一類に合格。2015年3月に理学部物理学科を卒業。次なる目標は博士 (理学) を取得し、研究者への道を歩むことです。内容は仮面浪人、受験勉強、大学生活など。

4月1日より東京大学教養学部理科一類に無事入学できました。
この記事からいよいよ東大生としての記録をつけていきたいと思います。
もちろん最終目標は東京大学で教授をするということですが、そのための大きな一歩を踏み出したと思っています。
次なる中期目標は理学部物理学科進学。
東京大学の理系の学科の中でも難しく、進振り点数が85点となっていて、これから一年半、絶対に悪い点数を取ってはなりません。
というわけで、こっからは更なるハイレベルな戦いになりますが、今まで以上に頑張っていきたいと思います。

3月のことをざっと振り返ります。
14日に岡山へ帰りました。
京王線が多摩センターまでしか行かず、多摩モノレールとJRに助けられた一日でした。

17日にはピアノのレッスンへ行き、母校訪問。
もうあちこちから変態と言われました。笑
そりゃただでさえ単位を落とす人がいるのに、東大に受かってなおかつフル単というのもなかなかないあでしょうから。
19日には母校のハイレベルセミナーで一二年生を相手に講演。
その後は進路科の先生、現役の東大と京大の合格者と食事へ。
20日には現役時お世話になった塾で講演。この日のメインイベントは東進ハイスクール志田晶先生の講演でした。
21日には高野山へ。
23日には再びレッスン。
26日には地元のホールで行われた発表会でプロコを弾き、さらに親戚の集まりで酔っ払いの話に付き合わされる。
そして30日に新幹線で東京へ戻る。
31日には駒場を下見し、4月へ突入。
1日から諸手続き。
有名な勧誘の列は、おもいっきりスルーしました。
2日には上クラとのコンパ。
6日に健康診断とサークルオリエンテーション。ピアノの会の人たちと感動の(?)再会。
7日に学部ガイダンスを受け、学生証を交付してもらい、やっと定期券が買えました。
そして8日には授業開始。
初日から全開。
一限に力学。二限に宇宙科学Ⅱ。人が多すぎて座れず。
三限は英語二列。All English Class.
四限は生命科学。教科書に沿っておらず意味不明。
五限はドイツ語初修。ピアノの会の副会長に遭遇する。ってかフランス語が第二言語なのに第三言語のドイツ語が先に授業開始とは光栄です。
六限には工学部ゼミの合同ガイダンスがありました。
ロボコンのゼミを履修したかったのですが、夏休みが侵食されるうえ、今年は教習に行かねばならぬので断念。
この一週間を振り返ってみて、興味関心が多いのは大変だと感じました。
特に授業はいたるところで被るし、ゼミは出れないし。
物理も先にやりたい気持ちが強いのですが、やはり数学を同時並行してやらないとどうにもならないことが分かっているので、結局大学の授業についていこうと考えているのです。
今のところ国家資格にチャレンジしてみるのもいいかなと思っています。
たとえば電気工事士とか電検三種とか初級シスアドとか。
就職をするつもりがないので全く関係ありませんが、まぁやれるものがあったらやってみたいなと。
学生の特権です。
いろいろ書きたいことがありますが、もう寝ないと明日の一限の授業があやしくなってくるので、この辺で。
これからもこのブログをよろしくお願いします。

3月11日のことから書きます。


合格発表の翌日、多摩センターの三井住友銀行へ行き、入学金の振り込みをしてきました。


僕の前に振り込み作業をしていた女の子もどうやら東大入学者のようでした。




無事振り込みを終えて家に帰宅したのが1時前くらい。




11日は石原氏の出馬表明会見ということでテレビをつけて待っていると、地面が揺れ始める。この時2時46分。


日本テレビのミヤネ屋を見ている途中でした。


ミヤネ屋は大阪のスタジオのため揺れていませんでしたが、会見中継のため東京に中継がつながると、アナウンサーの、ちょっと揺れてますねとの放送のあと、主要動が到達、その瞬間に相模原市は停電しました。


初期微動が少し長く、主要動はかなり大きい揺れで、僕は必死に本棚を抑えていました。


すぐおさまるかと思っていたのですが、揺れはだんだんと大きくなり、このまま日本は滅亡してしまうのではないか、そう思い始めたころにやっと主要動も収束しました。約3分間くらいのことだったと思います。




出口を確保し、外に出てみると、余震で建物が揺れているのがわかりました。


テレビが見えないためワンセグをつけてみると、やはり津波情報が。


初期微動継続時間が長かったこと、その割には規模が大きかったことから、震源が深い、少なくとも直下型地震ではないなという予感はしていました。


まさか東海地震が発生したのかとも思いましたが、宮城県沖で震度7。




しばらくしていると津波が来たという報道が。


衝撃的でした。


あらゆるものが根こそぎ流されていく。

電池の関係もあり、家の中に戻りました。

停電は翌未明の4時まで続きました。
調理できず、冷蔵庫も開けれず、ひたすら空腹に耐えながら、ベッドにもぐり、ラジオを聞いて過ごしました。
電気が復旧したときはほんとに感動でした。
東京電力ありがとう。



さて、本日30日、新幹線で岡山から東京に戻ります。

津波の恐怖とは

東京が大変なことになっている最中、飛行機を早め、今日岡山に帰ります。
京王線も調布以西運休で、最終の多摩センター行きでモノレールに乗換え、さらに立川で中央線に飛び乗ったところです。
これでなんとか羽田にたどり着ける見通しがたちました。
最悪の飛行機はキャンセルは免れそうです。
このあとは新宿まで行き、品川で京急線を捕まえる予定です。

二週間ほど家を開けるので不安ですが、命あるだけよいことにします。

かつてない日本の危機を、うまく乗りきらねばなりません。
東北地方で被災された人々ももちろん大変です。
そして日本経済は確実に衰退するでしょう。
これをいかに乗りきるか、乗りきらなければ、東北地方はおろか日本全体が破綻する可能性もあります。
とにかく少しずつでも対策を考えていきましょう。
そのために、常に正確な情報を得るよう心掛けましょう。



Android携帯からの投稿

まず、地震で被災された方にお見舞い申し上げます。


あまりにいろいろありすぎた三日間なので、ちょっとずつ書き留めていこうと思います。


3月10日は朝から新宿へ。

親がパソコンがほしいといっていたので、カタログをもらいにヤマダ電機へ行く予定でした。

が、なんと14万の富士通のノートが7万弱!!。

親に連絡して、父はすぐつながったのですが、母とはなかなか連絡が取れず、もはやこれまでかと思われたところで連絡が取れ、即購入。

そのまま本郷へ向かいました。

合格どおりへいくとすでにたくさんの人がいて、胴上げも始まっていました。

駆け寄って番号を探すと・・・



見つかった瞬間は緊張の糸が切れ、ほっと胸をなでおろしたという感じでした。


その後はZ会の取材を受け赤門カフェにいったり、生協の加入書類をもらったり・・・。

生協の書類を持っているとサークルの勧誘にたかられます。笑


その後お茶の水へ向かうところで日大の4年生に声をかけられ、そのまま一緒に御茶ノ水へ。


御茶ノ水まで話しながら歩き、アドレスを交換して、駅前で別れました。

そして駿台三号館へ。

大島先生の最終講義に参加してきました。

箱根セミナー以来の友達にも再会し、講義前の大島先生と音楽の話もでき、よかったです。



帰ったらポストに合格通知が突っ込んであり、ようやく合格したという実感がわきました。

東京大学理科一類合格。