首都大の図書情報センターは本日から利用再開なので、行って勉強していましたがキャンパス内には受験生の多いこと。
さてこれから本郷キャンパスに下見に行ってきます。
親戚の家からは地下鉄で数駅。
下見の後はもう一踏ん張りして、明日に備えることにします。
国公立受験されるかた、しっかり自分の実力を出していきましょう。
今日も数理科学図書館で勉強中です。
数理科学図書館を利用するのは今日が最後ですね。明日からは図書情報センターが開館です。
明日には本郷に近い親戚の家に行きます。
いよいよですね。まぁ感慨に更けるのはしぼらくお預けとしときますが。
なかなか手がつかなかった教科もありましたが、今日と明日、出来ることを精一杯やって入試に臨みたいです。
数理科学図書館を利用するのは今日が最後ですね。明日からは図書情報センターが開館です。
明日には本郷に近い親戚の家に行きます。
いよいよですね。まぁ感慨に更けるのはしぼらくお預けとしときますが。
なかなか手がつかなかった教科もありましたが、今日と明日、出来ることを精一杯やって入試に臨みたいです。
You can't help but give some thought to the future. Yet it is surprising how often the future seems to take care of itself if you are living fully in the present. For when the "future" does come, it will occur in some future "present" which will once again be living fully in.
Living in and for the present does not imply that your life won’t follow an orderly progression. It will nor is it short-sighted, for as philosophers have demonstrated there is only the present. The ”future” is merely a concept that never arrives. The past is a “present” that was, and is recalled right now – in this present – and as a response to something going on in this present.
Life is, in many ways, like a song played on a flute. It follows its own pattern, has its own rhythm, yet you never hear more than one tone at a time – a tone that continually changes as the moment changes. When you most fully enjoy listening to music, when you really get into it, you become totally involved in the present sound, in the immediacy of experiencing it. You don’t anticipate the note after the next, but enjoy the richness of the one you are hearing. Similarly, those who get the most out of their lives have also acquired the habit of tuning into and savoring their own present “note”.
Above all, living in the here and now means being yourself instead of preplanning events. It means adopting the strategy of no strategy.
Why have no strategy? Simply because it is impossible to plan a “success” strategy in matters of work or love. Trying to make yourself into the sort of person who will be loved by others never bring satisfaction, because even if you are “successful”, you never know if you are loved for you or for your act.
人は未来について考えてしまうのだ。しかし今を精一杯生きていると、未来が勝手に未来そのものをケアしてくれることがどんなに多いことか、意外なものである。というのも、「未来」が訪れた時にはもうそれは何らかの未来における「現在」なのであって、それをまたもう一度、精一杯生きることになるのである。
現在において、現在のために生きるということの意味合いは、人生が順序だった順次進行になっていかないということではない。実際には順次進行なのである。そしてまた、近視眼的ということでもない。なにしろ、科学者たちが示してきたように、現在しか存在しないのだから。「未来」は決して訪れることのない概念にすぎない。過去はかつて存在し、まさしく今、この現在において、この現在に進行している何者かへの反応として思い起こされる「現在」なのである。
人生はフルートで奏でられる音楽のようだ。固有の方に従い、固有のリズムを持っているが、一度に一つの音しか聞こえず、その音は瞬間が変わるごといつれ絶えず変化する。音楽を聴くことに浸りきっている時、音楽に本当に没入している時、現在の音に、それを経験することの直接性に、全面的にはまりこんでいる。次にやってくる音を予期することはなく、聞こえてくる音の豊かさを享受する。同様にして、人生から最大のものを引き出す人たちは、自分の現在の「音」 に波長を合わせ、それを味わうという癖もまた身につけているのである。
中略
なによりもまず、「今ここ」に生きるということは、出来事をあらかじめ計画するのではなく、自分自身であれということだ。戦略を持たないという戦略を採用することなのである。
なぜ戦略をもたないのか。仕事や愛情の問題で「成功」戦略を計画することなんて不可能だからに他ならない。人に愛されるようなたぐいの人間に自分を創っていこうとしても、決して満足をもたらさない。なぜなら「成功」したとしても、それは自分が原因なのか、自分のやったことが原因なのか、決してわからないからである。
Living in and for the present does not imply that your life won’t follow an orderly progression. It will nor is it short-sighted, for as philosophers have demonstrated there is only the present. The ”future” is merely a concept that never arrives. The past is a “present” that was, and is recalled right now – in this present – and as a response to something going on in this present.
Life is, in many ways, like a song played on a flute. It follows its own pattern, has its own rhythm, yet you never hear more than one tone at a time – a tone that continually changes as the moment changes. When you most fully enjoy listening to music, when you really get into it, you become totally involved in the present sound, in the immediacy of experiencing it. You don’t anticipate the note after the next, but enjoy the richness of the one you are hearing. Similarly, those who get the most out of their lives have also acquired the habit of tuning into and savoring their own present “note”.
Above all, living in the here and now means being yourself instead of preplanning events. It means adopting the strategy of no strategy.
Why have no strategy? Simply because it is impossible to plan a “success” strategy in matters of work or love. Trying to make yourself into the sort of person who will be loved by others never bring satisfaction, because even if you are “successful”, you never know if you are loved for you or for your act.
人は未来について考えてしまうのだ。しかし今を精一杯生きていると、未来が勝手に未来そのものをケアしてくれることがどんなに多いことか、意外なものである。というのも、「未来」が訪れた時にはもうそれは何らかの未来における「現在」なのであって、それをまたもう一度、精一杯生きることになるのである。
現在において、現在のために生きるということの意味合いは、人生が順序だった順次進行になっていかないということではない。実際には順次進行なのである。そしてまた、近視眼的ということでもない。なにしろ、科学者たちが示してきたように、現在しか存在しないのだから。「未来」は決して訪れることのない概念にすぎない。過去はかつて存在し、まさしく今、この現在において、この現在に進行している何者かへの反応として思い起こされる「現在」なのである。
人生はフルートで奏でられる音楽のようだ。固有の方に従い、固有のリズムを持っているが、一度に一つの音しか聞こえず、その音は瞬間が変わるごといつれ絶えず変化する。音楽を聴くことに浸りきっている時、音楽に本当に没入している時、現在の音に、それを経験することの直接性に、全面的にはまりこんでいる。次にやってくる音を予期することはなく、聞こえてくる音の豊かさを享受する。同様にして、人生から最大のものを引き出す人たちは、自分の現在の「音」 に波長を合わせ、それを味わうという癖もまた身につけているのである。
中略
なによりもまず、「今ここ」に生きるということは、出来事をあらかじめ計画するのではなく、自分自身であれということだ。戦略を持たないという戦略を採用することなのである。
なぜ戦略をもたないのか。仕事や愛情の問題で「成功」戦略を計画することなんて不可能だからに他ならない。人に愛されるようなたぐいの人間に自分を創っていこうとしても、決して満足をもたらさない。なぜなら「成功」したとしても、それは自分が原因なのか、自分のやったことが原因なのか、決してわからないからである。
昨日と今日と駿台お茶の水で直前講座を受講してきました。
岡山での講習や箱根セミナー、夏期、冬季講習と何だかんだかなりお世話になりました。
昨日は雲幸一郎師のとどめの一撃図形編、今日は小林隆章師の整数編、そして大島保彦師の東大英語これでもかでした。
大島師の講義も、合格発表日の最終講義を残すのみ。
結果はどうであろうと、僕の受験生活は強制終了なので、今年は合否に関わらす聞きにいく予定です。
今を一生懸命生きてれば、未来なんて心配しなくていい。
さて、もう一踏ん張り。
岡山での講習や箱根セミナー、夏期、冬季講習と何だかんだかなりお世話になりました。
昨日は雲幸一郎師のとどめの一撃図形編、今日は小林隆章師の整数編、そして大島保彦師の東大英語これでもかでした。
大島師の講義も、合格発表日の最終講義を残すのみ。
結果はどうであろうと、僕の受験生活は強制終了なので、今年は合否に関わらす聞きにいく予定です。
今を一生懸命生きてれば、未来なんて心配しなくていい。
さて、もう一踏ん張り。
今日は大学の図書館で勉強中です。
しかし図書情報センター本館は今日から整理休館日になってしまったので、今日からは入試までは数理科学図書館を利用することにしました。
こんな時に図書館が二つあると便利です。
人もほとんといないので、静かで快適です。
今日は地学と英語を中心にやってます。
地学は過去問がいい感じ。地学で40は確実にして、物理で50以上取れば、合格確実かなといった所です。
閉館の5時まで頑張ります。
しかし図書情報センター本館は今日から整理休館日になってしまったので、今日からは入試までは数理科学図書館を利用することにしました。
こんな時に図書館が二つあると便利です。
人もほとんといないので、静かで快適です。
今日は地学と英語を中心にやってます。
地学は過去問がいい感じ。地学で40は確実にして、物理で50以上取れば、合格確実かなといった所です。
閉館の5時まで頑張ります。