もう何十年も前のことです。
それは、ある日突然やってきました。
顔の周りの酸素が無い感じ。
息が出来ない。苦しい。
持って行き場のない何とも言えなくシンドイ。
不安のかたまり。
持ってるバッグさえうっとうしくて
地面へ放り出しました
こんな他県で知ってる人もいなし
一人ぼっちだから何とか帰りたい!
しゃがみこんで、足元の空気を
ゆっくり ゆっくり吸ってその場は
なんとか収まりました。
大阪の在来線のホームでの出来事で、
新幹線上りで帰宅する為に新大阪駅へ
向かおうとしている時でした。
その後セットの様に発症する「予測パニック障害」
も出て、それ以来、何年間か駅のホームへ
上がる度に発作が出るしまつ。
その後は駅の階段、その後は駅の前で
既に「出そうだな」と嫌な感じ、
そして予想通りにホームで発症。
ホーム=パニックの図が出来上がってしまいました。
長い事、駅のホームへ行けませんでした。
そしてパニック障害+予測パニック障害+過呼吸
と3セットになってしまいました。
だから、緊張は前にも増すばかり。
不安も膨らむばかり。
本当に死ぬかと思うほどしんどくて辛かった。
病院で精神安定剤を処方してもらい
お守りの様にいつも持ち歩いていました。
その頃の生活は9時5時で会社で仕事し、
ひどい夜型人間だったので寝るのは
夜中の2~3時が当たり前。
それに合わせて食事も夜は、色々な時間に摂り、
夜中にやっと晩御飯の時もあったり。
それほど、夜に光ちゃん事に没頭するのが
楽しくて、苦ではありませんでした。
今、思うと睡眠時間は3~4時間。
食事はメチャクチャ。
仕事はストレスなんてあって当たり前、
と思っていたのが原因かな?と思います。
私が克服できたのは、特に治療を受けた訳でなく
帝劇やドーム.横浜アリーナへ行きたい一心で、
自己暗示を掛け、「今日はタクシーで駅まで行けた」
「今日は発車ギリまでホームへ行かない方法で乗れた」
車内では光ちゃんの曲を聴き続け気を紛らわせ
這うようにして東京駅に降り立ったり。
と、一つ一つ「出来た。私は大丈夫」と
自信が付いたかのように
思い込ませる事を根気よく続けました。
今でも新幹線以外はホームへは行かないようにして
タクシー移動です。ホームには酸素が無い・・・
でも不思議な事に、親友と行動を共にしてる時は
発作が出ませんでした。
克服できたと確信するまでは
東京駅の新幹線のドアの前まで
迎えに来てもらっていました。
帰りもホームまで来てくれました。
その安心感が発作を沈めてくれていたと思います。
その内、帰りだけは付き添い無しで帰れ、
その後、少しづつ行きも一人で待ち合わせ場所まで
行けるようになりました。
いまは、パニック障害は自分に起こる気がしません。
そこまで克服できたのは、
光ちゃんの存在があったからこそであり、
何もなかったら、今でも苦しんでるかもしれません。
先ほど翔君の「音楽の日」と
TVのニュースで聞いていましたが、
やはり緊張の連続が一番起因になってるそうですね。
ビルが大きい=大会社ではありませんよね。
J 専属カウンセラー常駐、(マネージャーにも必要かも)
しっかり担当タレントの仕事と健康の
バランスをとる事に長けたデキるマネージャー。
そのマネージャーだって、会社の指示に対して
強く言える人はいないのでしょうか。
そんな営利優先でコキ使う?会社は「大会社」じゃない。
そう思うと、光ちゃんは
デビュー前から過酷なスケジュールで
仕事をしまくっても、パニック障害にならなかったのは、
光ちゃんはメンタルのコントロールが上手く、
体力も健康にも気を付け、
その上、大きなステージの場数も踏んで
強くなっていったんだなと、つくづく思いました。
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ついでにここで白状する事があります。
皆さんの記事にコメを入れる時って共感して、
そこそこ怒ってたり興奮したりしてる時です。
支離滅裂で変な日本語になってるかと思います
そして右肘を骨折後、右手の指3本が
軽く痺れてて、誤字脱字。
困ったもんだ。いろいろゴメンナサイ