札幌競輪について・・「函館競輪40年のあゆみ」より | うとうの競輪日記

札幌競輪について・・「函館競輪40年のあゆみ」より

 すでに遠い昔のことではあるが、1949~1960年の間、札幌市豊平区月寒に道営の札幌競輪場があった。 現在でも残っておればウトウにとって札幌はパラダイスだったろうにと思うと、廃止に追い込んだとされる当時の道知事:町村金五には恨みすら覚えるものである。


 廃止の経緯については、相次ぐ騒擾とファンの家庭崩壊(そりゃ自分が悪いだろ!)による競輪バッシングが背景として存在し、戦前は悪名高き特別高等警察を指揮する立場にあり、戦後の公職追放を経て政界に転身した町村金五(町村信孝前外務大臣の父親)が知事に当選したことによる。


 言論・思想を統制し、拷問で国民を弾圧した特高警察の指揮を取っていたのだから、「問題ばかり起こす競輪場」はさぞかし彼にとって許されざる存在だったものと想像できる。しかし、戦前にそんな立場にあった町村金五という極めてグレーな人間が、戦後政治の檜舞台に登場してしまうのだから、日本とはかくもナアナアな国である(実際には日本の共産化を恐れたアメリカによって活躍の機会を与えられた側面もあるらしい)。


 ウトウはこの札幌競輪の残骸を求めているのであるが、市立図書館にも資料は皆無のようである。しかし、幸いにも「函館競輪40年のあゆみ」に札幌競輪の写真が数枚載せられていたのでスキャニングして参りました。


  「競輪二十年史」によると廃止前年の年間入場者数は222,202名(同年市人口497,133人)。同年函館は116,452名(S35市人口271,163人)、大津245,287名、宇都宮211,195名。冬季閉鎖を考慮しても結構盛況だった模様。

 

 施設も同年代の函館競輪場よりも立派だが、少々狭いように見える。ちなみにバンクは500走路だったようである。


場内風景 場内施設

札幌競輪(レース) レース風景

札幌競輪(冬季閉鎖) 冬季閉鎖(スケート場)

札幌競輪(さよなら競輪) さよなら競輪


 いま、札幌市は夏季オリンピックを誘致しようとしているらしい。もし札幌オリンピックが開催することになれば、バンクを拵える必要性が発生するハズである。これは競輪復活のチャンスかも知れない。が・・今の競輪人気の凋落という現実を考えると・・・開催後にさっさと撤去してしまった方が良いという話にもなりそうだ。

 

 この話を裏管理人のモッペ氏にしたところ、「自転車競技は函館でやるんでない?!」と言われてしまった。「そうか・・オリンピックとなれば新幹線は開通するはずだからそうかも」と皮算用すら不景気な結末を迎えてしまった。