高校生の頃、ハマって読んでた漫画。
前世云々のSFファンタジーだったんだけど、
ある時、作者が突然、
「これはフィクションです」
宣言をした。
ハマりすぎて「自分と作者は前世からの仲間なんじゃないか」と思い込んでお手紙送ってくる読者がいて心配になったとか言ってました。

私は、すごく好きでハマりまくって読んではいたけど、フィクションだとは頭では分かっていて、
でもやっぱりフィクション宣言はショックだった。

やっぱ、普通はそうだよね。

ハリーポッターにハマって、そっくりの杖を作ったり買ったりして、呪文を覚えても、自分が魔法は使えないことは分かってる。
それでも、どこかにホグワーツがあることを想像する。
どこかにハリー達やクラスメイトが生きていることを思い描く。
無いのは分かってるけど、でも「信じる」。
でも、「いや、フィクションだからww」とわざわざ言われたら、やっぱり興醒めするんだ。


そうそう。
「醒める」んだよね。
「冷める」とは違う。

フィクションだからこそ、ありえないファンタジーだからこそ、
緻密に設定を練って、リアリティを作りあげる。
受け手はそこから更に想像を膨らまして、フィクションとリアルの隙間を埋めていく。



今まで、「中に人はいない」スタンスだったし、
「設定」ではなく、実際にそういう物語、歴史があるというスタンスだったし、
だから、ある意味それに付き合って、「それを信じてる」スタンスで通ってきたのに、
「いやwwフィクションだからwww」
と手のひら返されたような最近のパークが嫌なんだ。

「着ぐるみだからww 安く大量生産できるヘッドが出来たからそっちにするわww」
「経費削減のためにレストランのグリ廃止しないとww」
「ゲストさばけないから今ある施設の中で回しとくわww」
みたいなことをされたのがすごくショックだったわけです。
一緒に作り上げてきたつもりだった世界を、何度も通って埋めてきたフィクションと現実の隙間を、
たった一撃でガラガラと崩してしまった。
この瓦礫を一つ一つ片付けて、ぽっかり空いた隙間をまた埋められるのはいつ?
これを、一緒に埋めてくれる気はあるの?

「世界にたったひとり(一匹)」って強調するけど、
ひとつのパークの中でふたつのフェイスが混在してる国だってあるじゃん。
じゃぁ、700分も待って惜しむ人がたくさんいるこの国のパークに、平成フェイス残してくれたっていいじゃん。
これは完全にわがままだって分かってるけど。



自分でも何が嫌なのか、
今でも大好きなのに、どうしてまだ行く気持ちになれないのか、
テレビで流れた番組を録画してあって、見たいと思ってるのに、
流すとどうしても見られなくて止めてしまい、いつまでも進められない。
この気持ちは何なのか、
もうこれから、私はどうすればいいのか。

まだまだ着地点が見えないので、分かることだけ書いてみました。



っていう文章書いてたら、更にクックオフ改悪でさらに突き落とされるしね。
あぁ、もう期待しないんだった。
これからどれだけガッカリすることが続くんだろう。



「ディズニーは大好きだけど、O社のことは大嫌い」
これが今の私の気持ちです。




USJ、すごーく楽しかったけど、
帰ってきたら、ぽわぽわな気持ちは残らなかったの。
あそこでないとぽわぽわな気持ちにはなれないのかな?
でも、もうこの先行っても、あの頃のようなぽわぽわな気持ちにはなれる自信が無い。
すごく苦しい。