人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事 -177ページ目

人生を変える英語学習 教育×英語×お仕事

子育て中のやり直し英語でTOEIC講師、実務翻訳者という自分の夢を叶えながら子供たちの英語教育リテラシー向上も果たしました。
「勉強しなさい」と言わない子育てで、長男は東大合格、長女が国立大医学部に合格しました。
教育コーチングを通して学習の自立をサポート

木材チップを可燃性のボンドで加工して、発光器をおいて、タコ足配線コンセント近くにオブジェをアートと称して展示し、火災を起こして、幼い命を失った―という事件を起こした大学の偏差値云々をいうつもりはないが、基本的に「学力低下」の弊害を日々感じているものとして、ふとこの本を読みたくなりました。

 

 

 

この本の著者(存じている方なので、少々こういう表現は照れ臭いものがありますが)は、小学校時代に在籍した「落ちこぼれ学級」で初めて勉強する喜びを見出したそうです。

 

その経験から、落ちこぼれを救い、平均学力を底上げし、次世代を担う真のエリートを育てるためには思い切って能力別クラスを導入し、偏差値を復活させて、「評価三分法』を採用するしかないと主張します。

 

確かに、経営に携わっている学習塾では、中3で中1の内容からやり直す子もいますが、わからなくなったところに戻ってあげることで、驚くほど高速学習が進み、驚くほど偏差値が上がる生徒を目の当たりにすると、「能力別」は子どもを救うと断言できます。

 

もちろん、そこには成長を祝福しあう、見下さない、嫉妬しないというマインドの養成も必須ですが、基礎学力を身につけることは「凡事徹底」で身につきます。子供の頃から、このマインドを養成することは大事だと思います。

いじめの構造については、以前、森口氏の書籍を紹介いたしましたが、今回は内藤氏の書籍です。

 

この本で私が印象に残っているのは、学校社会に流れる論理と子供たちの中に流れている価値観についての言及です。

 

この本が書かれたのが2009年ですから、多少は変化しているものの学校社会についての言及は興味深いものがあります。

 

学校に蔓延する独特の小社会の秩序について、事例を挙げて説明しています。

 

中野富士見町のいじめ自殺事件は、教師も「葬式ごっこ」に加担していたという点で大きな社会問題となったので記憶されている方も多いかと思います。

 

その後の事例として、以下の例があげられています。

 

1986年、東京都中野区富士見中学校二年生のC君は、度重なる暴力や言葉によるいじめを受け続けた後、首をつって自殺した。そのいじめの一つとして行われた葬式ごっこの「色紙」には教員数名が寄せ書きをしていた。

C君の自殺直後、富士見中の校長と教頭が、C君の自宅に上り込んで、葬式ごっこに使われた証拠の色紙を物色するが、見つけることができなかった。

C君の自殺後、加害生徒の一人Dは、Z教諭〈葬式ごっこの色紙にサインをした一人〉が見ている前で、同級生F君を「お前はC二世だ。Cのように自殺しろ。」と約40回殴り続けた。それをZ教諭は無視した。怒ったF君が反撃したところ、Z教諭は「やめなさい。」と注意した。

この件で、Dが暴行容疑で警察に逮捕されると、Z教諭と校長は「(Dが)泣くったのは一回。「つついた程度」「C二世とは言わなかった。」と虚偽の発表をした。後に事実関係の違いを指摘された校長は、「教育の論理と司法の論理がありますから。」と言った。

 

ここからわかるように加害生徒たち、そして教員たちは、自分たちが「学校社会」の中の「学校的な」群れの生き方=独特の秩序を堂々と貫いているのです。

 

著者は、

彼らがそのような振る舞いを止めるのは、市民社会の論理に貫かれ、もはや「学校的な」生き方が通用しないと実感したときである。

と述べていますが、全くその通りだと思います。

 

なので、私たちは学校の中に法治主義的な考えをーということで活動をしています。

濃密な付和雷同で生きているのです。

 

また、今の子供たちを支配する価値観として「今」「ここ」をあげています。

 

私も実際に子供たちと接していて、多くの子供たちは「今」「ここ」「皆ののり」をかなり重要視していることを感じています。

 

また、具体的な教育改革への提言もされています。

 

個人的には、著者の「大日本帝国」に関する見解には賛同しかねる部分もあるのですが、学校という社会、そしてそこに生きる子供たちについての見解は、非常に鋭く、深く分析されていると思います。

 

なぜ、人が怪物になるのかーというサブタイトルがあるように、「いじめ加害者」たちはもはや「怪物」です。人としての心を失っています。

 

その意味で、なぜ怪物になるのかを的確に分析している本だと思います。

少しブレイクして、歴史もの・・・。

(いじめ問題とは直接関係ありませんが、時々人間の素晴らしさを確認する本を読むことは必要かなと(^_^;))

これ、本当は「武士の家計簿」を読みたかったのですけれど、図書館リクエストをしたらなぜかこれがきたという・・・。

 

しかし、これはすごかったです。

 

『土介冦讎記』という元禄期に書かれた歴史書で、な、なんと幕府隠密の「秘密諜報記」だったのです。

 

公儀の隠密が探索してきた各藩の内情が書かれている本で、原爆で焼かれたりして、現在は一冊しか残っていないものを、東京大学の金井圓教授(当時)が、原文を解読して書物化したものです。

 

水戸黄門も浅野内匠頭も出てきます。

 

事実は小説より奇なりー小説より面白うございました(*^^)v

ネットいじめについて、レポートを書いているのですが、その参考資料です。

 

デジタル画像の安易な交換等の危険性、またSNSでどんな内容を書くと犯罪になるのか紹介されています。

 

SNSでよくトラブルに巻き込まれる方は一読しておいたほうがよいかもしれません。

 

その他、食べログや他サイトの「口コミ」「レビュー」でこんなことを書いたら法律に触れるのか否か等も、いくつかの事例を挙げて紹介しています。

 

2013年の5月に、実際「食べログ」に「料理が出てくるのかおそい」「おいしくない」などを書かれた飲食店の経営者がサイトの運営会社に対して、店舗情報の削除と損害賠償を求めて札幌地裁に提訴したという事例があります。原告の弁護士によれば、「営業権の侵害」だということです。

 

こういう事例について

 

サイトの利用者からすれば、店への評価は厳しくあってほしいものです。また、客商売の飲食店などが人々から評価されることは当然であり、それをネットに書かれたところで仕方のないことだという意見もあるでしょう。

もちろん、「おいしくない」というのはたまたまその利用客が感じたことにすぎませんし、読み手の側も個人的な感想だと思って読むことが多いでしょう。しかし、こうした評価は死活問題です。

中略

果たして客観的事実ではなく、「料理が出てくるのが遅かった。」「おいしくない」のような「意見や論評」についても、名誉毀損が成立するのでしょうか。

実は刑罰を伴う刑法上の名誉棄損罪には「事実の適示」が必要ですが、損害賠償を請求する民事上の名誉毀損においては「事実の適示は不要だと考えられています。

のように、具体的にどんな法律に触れるか等々を解説してくれている本です。

 

子供のドロドロとしていじめに辟易したときに、こういう理性的な本を読むと、いじめもある程度理性的に「犯罪」となるものは判断していくべきなのではないか、という思いがわいてきます。

この本は「教師を支える会」代表であり、スクールカウンセラーの方が書いたほんです。

 

スクールカウンセラーの方が書いた本ということで、子供たちの気持ちに寄り添う点はプロでもいじめを解決することはできないという実情を知っているので、正直あまり期待せずに読み始めましたが、読後感はすっきり!

とても共感できる本でした。

 

著者は「いじめ対応の王道は、いじめを許さない正義の感覚を育てること」と仰います。

まさにその通りだと思います。

 

著者の方が、いじめ問題の根深さに気づいたのは大学生のカウンセリングをしているときだったといいます。

 

学生相談をしていると、死にたいと訴える若者たちが少なくありません。また実際に自殺未遂をしたり、繰り返したりする学生も少なくありません。私のこれまでの経験で言うと、自殺を試みる学生、死にたいという学生の7-8割は、小中学校で何等かのいじめを体験しています。いじめのダメージはそれほど重いのです。

中略

いじめは、いじめられている子供を強い自己否定の状態におとしめていきます。こんな自分なんか値打ちがない、生きている価値がない、友達になるに値しない…そのような強い自己否定感にとらわれ、自殺に至ってしまうのです。

カウンセリングのご経験から、いじめられている子は自分がいじめられていることをなぜ言えないのかという点についても3つ明確にあげています。

1、親に迷惑をかけたくない、心配させたくない

2、先生に言うともっといじめがひどくなる

3、先生に言って、学校で指導が行われると、自分がいじめられていることが周囲に知られてしまい、いじめの事実が固定化されてしまうのがこわい

3つ目は、冷静に自分自身でいじめについて考えた上での対処で、いじめは一時的なものでそのうちターゲットが移っていく、だからその期間は「何もないこと」にしておくのが一番いい〈自分だけが我慢をすればいい〉と考えるのです。しかし、実際はこの無抵抗によりいじめは長期化していってしまいます。

 

その他いじめ認知件数等は、他の関連書籍でも触れいますので割愛しますが、カウンセラーらしくとてもいじめ被害者の心理がわかっているので、以下参考になることをご紹介いたします。

教師と保護者が言ってはいけない3つの言葉

1、そんなことぐらい気にしないようにすればいいのよ

2、もっとあなたが強くなればいいのよ

3、あなたにも悪いところがあるよね

教師や保護者は、「いじめに負けない子になってほしい」と願います。私もそう思う気持ちはあります。それを願うのは悪いことではありませんが、しかし、現在ただ今いじめ被害に会い続けている子にとっては、これは「あなたが悪いんだ」「弱いあなたがだめなんだ」と言われたように感じてしまい、自分が否定されたような気になってしまうのです。

 

いじめ問題が起きた時に、第一に優先すべきは被害者の保護です。それは心を守ることも含まれていますので、この3つの言葉は絶対に言ってはいけない、という主張に100%同意いたします。

また、学校に実際にいじめを解決してもらうための注意点として、学校主導で家庭とチームを作る、決して学校と対立に陥らないという点もあげています。

 

その他、いじめがひどい場合に、「転校」を考えた場合ですが、たいていの学校は最初はそれに対して抵抗します。

 

この理由として

1、自分の学校で起きた問題でよその学校に迷惑をかけたくない

2、自分の学校で起きた問題は自分の手で解決したい

という学校側の気持ちをよくまとめてくださっています。1は、体裁と整える感じがして、非常にいやな感じを持ちますが、実際は2も多いとのこと。「うちの学校で起きた問題は、私の手で、自分たちの手で何とかしたい。」と思う指導に熱心な方の方が多いとのことです。これは、教師の業だともおっしゃっています。

 

その他、転校を提示する場合の留意点にも触れられていて、とても参考になる内容でした。

 

また、日本の学校の現場の方が書かれているわりには、出席停止、別室指導の留意点にも触れられていて参考になると思います。〈実際、日本でもこれを行っている学校があることに正直驚きました。すばらしいです。〉

 

また、私たちが学校でいじめ防止授業をするときには、「いじめをなくす魔法の言葉」を伝えます。それはゴールデンルール「自分がされて嫌なことは人にしない」

これにたいしても、

自分がされたら嫌なことアンケートを最初にとって、この中から多くの子が選んだものを学級にルールとして設定するのです。

ととても実践的な方法を提示してくださっています。

 

そして、印象的だったのは「ひとりでいてもいい」ことを覚えることを子供たちに伝えることが大事だとおっしゃっています。

この年齢の子供たちは、孤立することを恐れて、自分を消して、グループに同化しようとします。いじめられっこだけでなく、ほとんどの子がおびえているのです。

 

子供たちにとって、何が一番の恐怖かというと「グループから排除されて一人ぼっちになる尾ではないか、孤立してしまうのではないか」というプレッシャー〈ピアプレッシャー〉を抱えていますが、それに対し

周囲の大人は、「そんな無理してつき合わなくてはいけないのは、友達なんかじゃない。」「ひとりでいてもいいじゃないか。先生があなたの一番の友達でいてあげる」とピアプレッシャーから解放するような言葉かけをしていく必要があります。

と述べています。まさに、ここは本当に大事なところです。

 

その他、マイナスの感情との向き合い方や、社会全体でいじめに対するセーフティネットをととても共感できる内容盛りだくさんでしたが、最後に

私は学校教育におけるいじめ対応の王道は、いじめがおきたらどうするか、という個別的な取り組みではなく、いじめが生まれないような正義の感覚に満ち溢れた学校づくりをしていくことに尽きると思います。

と最初にご紹介した言葉を述べておられます。まさに、その通りです。そのような学校が増えることを期待して、これからも活動を続けてまいりたいと思います。

 

最後に、この学校を正義の共同体にという考えに出てくる「正義の共同体」というのは、アメリカの発達心理学者ローレンス・コロンバーグが提唱したものです。このコロンバーグは、道徳性の発達段階として、「モラルジレンマ」という授業方法を行った方ですが、後年、彼は、道徳的問題についてこのような、話し合いではなくて、学校全体を道徳的な風土、つまり正義の感覚に満ち溢れた学校にしていくことを非常に重要視し始めました。いまだに、モラルジレンマを道徳的手法として取り入れるのは、「間違っている」と判断できる理由の一つとしてあげさせていただきます。