~学校と塾との二重生活を続ける子供たち~
学校は、つい数年前まで「ゆとり教育」が行われてきました。「学校が荒れる理由は、勉強が厳しくて、知識を詰め込みすぎるからである。勉強する内容を減らして自由にさせれば、子供たちは救われ、学校がよくなるのだ」という理屈に基づいて、ゆとり教育を実践した結果、学校はよくなるどころか、ますます荒れました。
高度経済成長期までは、学校に対する国民の期待が高く、「私立よりも効率のほうが良い学校である」とされ、公教育に権威があったとおもいます。
しかし、高度成長期も終わり、国が豊かになったあたりから、公教育はおかしくなったと思います。
塾教育が全国で盛んになってから、学校と塾の競争が、実は始まったのです。
「知識や技術を教える」という点では、身分が保障された公務員による学校教育よりも、厳しい競争にさらされて実勢で評価されている塾教育の方が明らかに力を伸ばしてきました。
実際は、それまで日陰の存在であった塾が表側になり、表側であった学校のほうが明らかに力を伸ばしてきたのです。
そのため、公然とは口にしませんが、保護者も子供も「表の顔」と「裏の顔」という二重の顔を持つようになってきたのです。すなわち、「勉強は、塾でやり、学力をつける。学校は、学歴を得るためにしかたなく行く」ということです。
実際、私が以前勤めていた塾には、「学校は休んだけれど塾には来る」という子供がたくさんいました。
そして、学校の教員も、学校教育では十分な勉強が出来なくなっていることは知りつつも「学校は勉強をするところである」という建前を崩していないため、建前の中にむなしいウソが紛れ込んでいるのです。
保護者も子供も、ある意味二重人格のようになり、学校の教員も「表の顔」と「裏の顔」を持ち、互いに嘘であることを知りながら、表面上はこれまで通りの姿で生活しようとしているのです。
この人格の二重構造のところに、暗い、ウソの部分が広がり続けているのです。
確かに、市場経済原理の下で、塾に競争を仕掛けられると学校にほとんど勝ち目はありません。
その裏で、子供たちはいわゆるダブルスクールの二重生活を長く続けなければならなくなったのです。
その結果、当然ながら子供たちの負担は精神的にも肉体的にも重くなっています。
学校に行けば、建前だけの世界が広がり、そして帰宅後はダブルスクールで、子供たちは疲れていると思います。
この疲れが、様々なところにひずむを生んでいると私は考えています。