ピーター・シスの闇と夢 展覧会
展覧会期最終日。鑑賞してきました。ピーター・シスは、映像芸術家(アニメーション)挿絵、絵画、絵本作家です。私が、ピーター・シスに出会ったのは、ずいぶん昔のことです。海外の本屋さんで「チベット」という本を手に取ったことからでした。これは、すごい!と一瞬で魅了されました。このとき、チベットを購入しなかったことを、今でも後悔しています。なぜなら、チベットは日本で出版されていないからです。これが表紙です。絵本の賞として最高峰のコールデコットのオナーブックです。さて、ピーターシスは、チェコで1949年に生まれました。チェコスロバキアが1948年の政変でソ連型の社旗主義国となった翌年に、長男として生まれ、プラハで育ちました。両親はともに芸術家であり、特に映像作家である父親のヴラジミール・シスは、生涯にわたってシスに大きな影響を与えました。表現の自由が奪われ、検閲も厳しい環境下であり、壁に囲まれた自由が制限された生活でした。ピーター・シスの父は、映像記録の仕事をしており、社会主義国家にありながら中国や西洋社会への渡航がゆるされていました。ピーター・シスは、幼いころから、父に西洋文化芸術を教えられて、影響を受けます。西側の文化は禁止され、西側のラジオ放送は妨害、だれもがソ連体制に忠誠を誓わなければならない「正常化」の時代下、ピーター・シスは育っていきました。この絵本は、制限された生活を、描いた作品です。自由に飛びたい! 壁の1ページ1980年 短編アニメーション「頭」がベルリン国際映画祭アニメーション部門で金熊賞を受賞1982年、チェコ・アニメの代表としてロサンゼルスオリンピックのアニメーションを制作するため渡米。しかし、東欧諸国がオリンピックをボイコット。1983年、たったひとり、家族と離れて、アメリカに亡命しました。1989年5月、アメリカ市民権を取得。同年11月ベルリンの壁崩壊後、プラハの家族と再会することができました。1990年、映画プロデューサーのテリー・ライタと結婚。後に一男一女をもうける。この息子と娘のための絵本が、日本でも出版されています。2012年、長年の功績により、国際アンデルセン賞画家章を受章しました。ピーター・シスは、はじめは絵本作家ではありませんでした。アメリカに亡命したとき、ピーター・シスは、生活するために挿絵や新聞のイラストを描いていました。生き抜くために、人と同じ絵を描いていては採用されないので細密な点描で独自の画法を編み出します。これは原画展でみると、いったいどうやって描いたのかと驚くほどの細い細い点です。その労力は、はかり知れません。この猫の絵。小さな点描が見えるでしょうか。そのピーター・シスに、手を差し伸べたのが、絵本作家のセンダックです。「かいじゅうたちのいるところ」で有名なセンダックは、絵本界の重鎮です。センダックから絵本を描くために、ニューヨークに来るよう誘われます。故郷の思い出を描いた『三つの金の鍵 魔法のプラハ』や『かべ 鉄のカーテンのむこうに育って』などの代表作品これらは、故郷であるチェコを追われたこと、プラハへの思い、自由のない社会主義下での生活など、彼の思いがこめられています。小さな子どもたちのためにつくった絵本、広い世界を旅した英雄への憧れを込めた物語、そして、ダーウィンやガリレオなど抑圧に屈することなく意志を貫いた偉人たちの伝記絵本と、その表現はさまざまです。 シスはすべての絵本で、自分が歩んできた人生と自分自身を投影してきました。チェコスロヴァキアに生まれて「かべ」のなかで育ったこと、アメリカに移住し、「自分は何者か」と問いつづけたこと、その人生の旅路でみた自由、夢、真実、愛、冒険、探求、孤独を、物語につづったのです。2012年にはその功績が評価され、国際アンデルセン賞画家賞が授与されました。そして今も、シスは創作をつづけています。 本展では、アメリカに移住したのちに生み出した数々の絵本原画と資料に加えて、絵本作家となる前に冷戦下の旧チェコスロヴァキアで製作し、国際的な評価を得たアニメーションの原画や、新聞雑誌の挿絵、地下鉄や空港など公共の場のためのアートプロジェクトの作品など、約200点を紹介しながらシスの創作の軌跡を辿ります。影から光へとたどってきたシスが人生をかけてつむいだ、闇と夢が織りなす作品の数々をご覧ください(以上 展覧会のパンフレットより引用しました)近年の作品としては 10年をかけて調査し制作したニッキーとヴィエラ ホロコーストの静かな英雄と救われた少女があります。1938年、第二次大戦開戦前夜のチェコスロバキアでは、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の危機がせまっていました。そんななか、子どもたちをイギリスに脱出させようと力を尽くしたニコラス・ウィントンと、彼に救われた669人の子どもたちの一人、ヴィエラ・ギッシングを描いた絵本です。株の仲買人をしていたニッキーがなぜ、多くの子どもたちを救ったのか、そしてなぜその功績を長い間誰にも語らなかったのか。ピーター・シスが10年の月日をかけて完成させた、心に深くささる作品です。(出版社照会文引用)命の危機にさらされていた子どもたちと、今、命の危機にさらされている子どもたち。その姿が重なる、悲惨な戦争を描いた本です『静かな英雄』ニッキーは、仲間と協力して資金を集め、イギリス行きの列車を手配し、時には書類を偽造さえして、子どもたちをイギリスへ逃すために奮闘しました。そうして救われた669人の子どもたちですが、彼らの子どもや孫が、今では6000人になっているそうです。大勢の子どもたちを救いながらも、ニッキーはその功績について、長らく口を閉ざしていましたピーター・シスの絵画は、インク オイルパステル アクリル絵の具 ジェッソ(アクリル樹脂)を使って、表面変化があります。印刷ではなく、原画を見ると、その技量に感嘆します。生活費をかせぐため編み出した「点描」が、彼の世界を開花させました。お父さんが、チベットに仕事に行ったとき持ち帰った資料は、社会主義国家下では、息子に見せることができませんでした。お父さんは、赤い箱に封印していました。そして、お父さんの命が残り少ないとなったとき、ピーター・シスは箱を開きチベットの絵を描きました。チェコは絵本が盛んな国です。ブラチスラバ絵本原画展(千葉市美術館でやります)があります。この原画展は、お話ではなく、絵に特化した原画展です。チェコ スロバキア 東欧の国は私の日常から遠く、知らなかったことがたくさんあります。ピーター・シスの絵を観るとウクライナ ミャンマーのこどもたちのことを 思います。ウクライナにも、素敵な絵本があります。また、ミャンマーは読書が盛んな国で、戦火なかでも街中に図書館が開いていました。ミャンマーの人は、絵本を恵みの雨と言います。なお、展覧会は 撮影禁止でした画像は、展覧会紹介サイトから おかりました。