社会人研究者の奮闘記

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社会人研究生の奮闘記



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シアターD-spritsの第3回公演「こぶとりー鬼たちの物語ー」

 JR桶川駅の改札口を抜けて右側に向かうと、昭和時代を想起させるような懐かしい街並みの風景が広がっていた。首都圏では再開発がいたるところで進行しており、風情のある街が消えてしまっている。中山道の宿場町だったためか、ガラス越しではあったが、その面影が垣間見られた。

◆桶川市にゆかりのある大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の足立遠元の生まれ変わり

 劇団シアターD-spritsの第3回公演「こぶとりー鬼たちの物語ー」が行われた桶川市民ホールはその反対側、西口から5分ほどのところにある。1年ぶりの訪問であったが、なぜかこの街にかすかな郷愁の念を抱いた。

 


駅西口公園にあるモニュメント


 パンフレットに記載されていた作・演出の山口和伸氏の言葉では、この劇について「レッテルを貼られ、苦悩する鬼とヤマンバギャルメイクの子たちとの戦いの話。マイノリティと多様性について、ちょっと問いかけます」と言及されていた。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した桶川市にゆかりのある足立遠元氏の子孫で、その生まれ変わりの山伏である足立孝行が主人公だった。

◆鬼は「鬼」を作り出した人間の心の中にも生きている

 寓話とは誇張された昔の物語ではなく、今でも形を変えて生きているストーリーであり、この社会のなかで無数の寓話が繰り返し上演されている。鬼とは、主要な大集団から排除され、大集団の日常から離れた異空間に押し込められた存在であり、心に怨念を抱えている。

 大集団の構成員の鬼に対する認識も、一種の誤解から生じた偏見であり、双方の誤解を消し去ることから、和解が生まれる。マイノリティの権利を擁護し、多様性を認め合うという主張は正しいが、白黒をはっきりさせる二項対立思考がはびこっている世界では、「言うは易く行うは難し」である。

◆双方の「鬼」を退治し和解に導く「魔法の言葉」とは

 鬼とは鬼といわれる存在が持っている怨念だけではなく、「排除する側が持っている分類し差別する心も鬼」なのだ。この劇では、山伏の足立孝行が術を使って、双方の「鬼」を退治し、和解が生まれた。社会の人間集団のなかに無数に存在する「鬼」をどう退治していくのか、その一つの知恵を暗示している物語であった。

 私見ではあるが、鬼退治とは武器を持って相手をやっつけることではない。また、自らの主張を一方的に叫んで相手を打ち負かすことでもない。

 

 心のなかに潜む鬼を消し去り、相互の和解と平和な心が生まれるような「魔法の言葉」を紡ぎだし、それが自然にひろまっていくような流れをつくることが「本当の鬼退治」なのではないか。SNSで鬼が無限に拡散している現代社会では、難しいことではあるが・・・。

 


駅通路の壁に貼られていたポスター

シアターDーspiritsの第2回公演「顔とeye=愛」

 

 初冬の透きとおるような青空。ひさしぶりに郊外を走る電車に揺られて桶川駅に着き、桶川市民ホールに向かった。シアターDーspirits.「顔とeye=愛」(11/26-27)を観た。  コロナ禍に立ち向かう 第2回公演という触れ込みである。 
 

桶川市民ホールに隣接する公園
 

 冒頭に、落語風の語りがあった。日本が大陸の国から倭と呼ばれた時代、ある日本人が船で陸地に漂着して、現地人と「顔」の美醜の通念が異なることを体験し、美的観念は相対的なものであると認識する。ストーリーの前触れで、バックスクリーンに能面と仏像が映し出され、なにかを象徴しているようだった。

◆角膜移植がつなぐ不思議な縁?

 桶川市の観光ツアーに参加した2人の女性がガイドの案内で三仏像に対面し、自らの胸中を打ち明ける。過去の体験に遡行。看護婦のオカ好子は患者に感情移入して、暗い表情を浮かべることが多かった。同僚に「笑顔、笑顔」と激励されるが・・・。

 場面は東京の巣鴨地蔵通りに移り、ギャングの親分に相手を狙撃するよう命じられた子分のウシ太郎が、三仏像の化身らしい三人の老婆に翻弄され、諭される。ウシ太郎は敵からピストルで撃たれ、救急車で病院に運ばれた。絶命する前にウシ太郎はオカ好子にある言葉をつぶやく。老婆たちのお告げで、角膜移植をした後に、奇跡的に生き返る。

 舞台はふたたび桶川にもどり、角膜移植を受けた真ルミとオカが対話する。真ルミをツアーに招待したのはオカであり、ウシ太郎から角膜移植を受けたのが真ルミで、オカはウシ太郎と結婚していたのだった。

◆「顔は個の入り口であって個のすべてではない」

 日常空間に潜む一つの神秘的な力を感じさせる、寓話のような物語だった。「顔」の表面的な美醜に翻弄されず、善悪を洞察する力。マスクをして顔全体がが見えにくい昨今だが、日本には「目は口ほどに物を言う」という俗諺がある。

 また、心眼という言葉もある。直観的に人の心の奥底を洞察する能力であるが、現代はその力が衰弱しているような感じもする。その心の眼について、何らかのメッセージを伝えるユーモアとペーソスのある劇だった。

 最後に、パンフレットにあったメッセージを引用して締めくくりたい。

「顔の見え方」とは何でしょう・・・・・・あなたは、相手の本当の顔を見ている自信ありますか?ただ、これだけは言えます。「顔は個の入り口であって個のすべてではない。」

 

シアター D-spirits.の旗揚げ公演「舟―Boat」

 16日土曜日、上野駅から高崎線に乗り換えて、桶川駅に向かった。40分程度の小旅行である。飛行機や新幹線の出張はあるが、首都圏内の電車移動は意外に機会がすくない。晩秋のすがすがしい快晴に、心は躍った。
 
 
  改装した桶川市民ホールで、<シアター D-spirits.>旗揚げ公演「舟―Boat」を観た。そのパンフレットには、以下のような記述があった。
 
 ― 埼玉県桶川市には、観客の皆様に「生き方」を問い続けた伝説の劇団≪シアター DAC≫がありました。その劇団四季のDNAを受け継ぎ立ち上がった新生劇団がシアターD-Sprits.です。 ―
 
◆洗練された演出と舞台構成が光った
 
 シアターDACの作品(青山孝行作・演出)は時折、戦中及び戦後の混乱期を回想するシーンがあり、戦争を知らない世代としては新鮮な驚きがあった。ユーモアとペーソスにあふれる台詞のなかに、ほんわりとした哀感や情感が漂い、ある種の郷愁を感じさせてくれた。
 
 新生劇団の公演(山口和伸作・演出)では、プロローグの歌や幕間のダンスなど、洗練された演出や舞台構成が光っていた。昔話「かちかち山」を題材に、動物を擬人化した詐欺集団と狸の兄妹の精神的な相克や葛藤などが表現され、シアターDACから継承されたDANの存在を彷彿させた。
 
クローバーすっきりとした公演だったが、ほんの数ミリ深みがあれば、最高の傑作となったような気がする。 新生劇団D-spirits.がどのように深化していくのか、今後も見守っていきたい。 
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