私の最初の坐禅体験について① | ビジネスに生かす東洋哲学

私の最初の坐禅体験について①

私が、初めて、禅道場にいったのは、早稲田大学3年生の8月でした。

大学2年生の終わりころから、抑うつ状態(軽いうつ病)になり、3年生の4月から「自主休学」と称して、科目登録だけして大学には行かず、家でゴロゴロしたり、気が向くと映画館や図書館にいったりと、半分、引きこもりのような生活をしていました。


当時(1982年ごろ)は、今とは、うつ病の診断基準が異なっており、また、今ほど、よい「抗うつ薬」も開発されていませんから、医者にいっても、カウンセラーに相談しても、「君はノイローゼだから、あまり気にしない方がいい。そのうち治るよ。」といわれるだけで、薬は出してもらえません。


しかし、本人は、ひどい「自己嫌悪」「自己否定感情」に苦しんでおり、何事にも意欲がわかず、時に「自殺願望」まで出てきましたから、今から考えれば、立派な「うつ病」だったような気がします。


しかし、薬も何も、もらえませんから、ただ、うつうつとしながら、大学3年の4月から8月まで、まったく大学に行かず、ひたすら、ぶらぶらしておりました。しかし、そのような生活をしていると、結果的に、うつ病治療にもっとも大事な休養をとれたことになり、8月には、かなり気分が好転してきました。


大学は、夏休みでしたし、1年間は、自主休学すると決めていたので、この際、普段できないことをやってみようかと思い、ごく軽い気持ちで、東京の山手線の日暮里駅そばにある人間禅の択木(たくぼく)道場の坐禅会に参加してみたのです。


当時の択木道場は、毎週火曜日の午後6時半から8時まで、1時間半の坐禅会が定例会として実施されていました。日暮里駅のそばに看板が出ており、出身高校(開成高校)が近くにあったことから、高校時代から、そこに坐禅会があることは知っていました。

しかし、大学3年生の8月までは、坐禅に特に関心はなく、行く気もなかったのですが、抑うつ状態が完全に治ったわけではないにしても、少し良くなってきて、何か精神安定によいことやってみたくなった時に、ふと、日暮里駅そばの坐禅会の看板を思い出したのでした。


インターネットなどない時代ですから、電話で問い合わせると、希望者は、100円くらいの安い会費で誰でも参加できるということでしたので、ごく軽い気持ちで、択木(たくぼく)道場を訪ねたのでした。


初心者なので、少し早めに午後6時ころに択木道場に行くと、すでに、ベテラン会員の方が何人か来られており、坐禅会の準備をされていました。

私以外の参加者を見ると、大体30代から50代くらいの社会人が多く、20代と思われる人は、その時は、私しかおりません。

それを見て、ちょっと不安になったのですが、事前に電話をしていたこともあり、初心者に坐禅の仕方を教えてくれる係りの女性の方が、控室で親切に対応してくれました。


何しろ、私自身は、坐禅をしたこともなければ、坐禅の本も読んだこともありません。見学気分のごく軽い気持ちで来ただけでしたが、指導係りの方が30分くらいかけて、分かりやすく坐禅の組み方や道場の基本的なマナーを教えてくれました。


択木道場は、大正4年に初代の建物が建てられたほど、由緒ある坐禅道場ですが、居士(こじ)という一般社会人のための禅道場でしたので、禅堂は全体が畳の部屋です。たしか、私が初めて行った時の古い建物の禅堂は、36畳の広さであったと思います。

(平成6年に建て直されて、今は、70畳くらいあります)


人間禅道場は、本格的な臨済宗系の坐禅を修行することを目的にした禅道場ですから、結跏趺坐(けっかふざ)か、半跏趺坐(はんかふざ)という、坐禅本来の坐り方を教わりました。坐禅の坐り方は、あぐらのような恰好でありながら、お尻の下に座布団をいれてお尻を少し高くして、足を反対の足の腿(もも)に上げて、背筋をぴんと伸ばすというものです。


私も、当時は、あまり太っていなかったこともあり、また、若くて体も今ほどは固くなかったので、とりあえず、言われた通りやってみたら、坐禅らしいかっこをすることができました。

そうしたら、指導係の方が、「上手ですね。これなら、すぐに一緒に坐禅できるから、禅堂にいきましょう」といって、ベテランの方々に交じって初めての坐禅体験が始まりました。

                              (続く)