中途半端に手を止めたミニチュア製作はあれから宮崎の義父が亡くなり義母を東京に迎え入れて妻と3人での生活に変わって更に手を着けなくなってしまい、材料や工具などはほぼクローゼットの肥やしと成り果てた。

三年も経てばその熱意も冷め、何をどこまでやっていたかすら考えない。

実家は母が三年程前に認知症のようなてんかん発作を見せるようになり、三兄弟でてんやわんや。丸一年ちょい紆余曲折あった後結局デイサービスを経て特養入りに。

あっという間だったような、長かったような。

妻は毎日義母の介助に追われていて、事あるごとに自分の至らなさを痛感。


一体、自分には何ができるのだろうか。


ただ毎日働いて家計を支えているだけ。

たった月一度墓掃除して母に顔を見せに行くだけ。

介助に縛られている妻を尻目に独りで遊びに出るなんてのも全く楽しくない。


ただただ

時間だけを浪費しているような虚しさ。


何となく

思い出してみた。

ミニチュア作っていた時、何であんなに夢中でいられたんだろうか。


初めは

大病から見事に回復した妻が親孝行のために宮崎へ両親のヘルプに帰省し始めた時。

東京に独り残され時間を持て余した際にふと、目の前にある物を何となく、ミニチュアにしてみた。そこから自分の身の回りの物から部屋丸ごとまでに至った。


その後、実家の喫茶店のミニチュアを閉店に至る前に両親へのプレゼントとして作った。

プレゼント、と言いながらもやっぱり忘れたくない物を形に残したい、と思っていた。


そう、忘れたくないためだ。

その時々の『今』を刻んでいたのかもしれない。


父が亡くなり、一度『今』を作るという概念が吹っ飛んでしまい、間を置いてから急にただ思いついただけのミニチュアを作り始めてしまった。

そこには熱意が何処にも湧いていなかった。

ただ義務のような、宿題のような、何か見失ったままの『作業』をしていたような気がする。


そこが全ての間違いだったのかもしれない。


やっぱり自分は『今』を感じながらじゃないとダメなんだと。


何か肩の荷が降りたというか、虚無感が薄れてまた少しばかり『今』を刻みたくなってきた。


また刻んでみます。

3年ぶりに。